竹谷家
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
條を見よ。又藩輸譜に「松平(竹谷)玄蕃頭源家〓は、故備後守〓善の孫、谷奥二郞と名乘りしせり、松平とは申けり。に至るまで凡そ四代、め和泉入道殿の二男和泉守守家より〓善あり。一人の娘を實として吉田の城に納る。〓善·初めて同國竹谷に移りて竹備後守〓宗の子なり。〓善·初め今川に隨ひ、三河國岡崎の城に世の人竹谷の初德川殿と今川と不快の後、てゝ德川殿の御方に多り、〓善かの質を棄おのが異父同母の第鵜殿藤太郎·今川の方人にて、同國上野の〓の城にあり、押寄せて攻むる事既に三日、城終に落ちて鵜殿兄弟〓太郎、藤介)討死す。後家を子息〓宗に讓りて致仕し、元亀三年、遠江國字津の山の要害を守り、天正十五年、八十三歲にて卒。備後守〓宗も初め與二郞と申し、遠江國にて所領(上張、菅谷、龜甲等の地)を老て子息家清に置て興國寺の城にあり。得、三方が原、堀越、長篠等の軍に從ひ、年玄蕃頭家〓これも初は奥二郞と申す。東に移らせ給ひし後、武藏國松山(八幡關山とも)の城を賜ふ、一萬石也。慶長六年二月、三河國吉田の城に移り、三萬石、同十年十一月十日父備後守清宗入道全榮父同母の御妹、卒し、其の嫡子民部少輔忠〓が母は、年四月二十日、なければ家絕え、五千石の地を給ひて、ぎぬ」十五年十二月二十一日家〓卒す。と 0子孫·交代寄合衆也。父卒して家を繼ぎ、二十八歲にて卒し、舎弟庄二郞〓昌に四郡其の子孫·家を繼德川御異男子十七松平武鑑に「代々御譜代大名並、四千五百石、參州賣飯郡四郡。家老神谷、小笠原、中老長澤、その他、小田、集田、天野、淺圖、長澤、本名と見ゆ。17
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)