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竹腰(3)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

3美濃の竹越氏當國の豪族にして、羽栗郡竹ヶ鼻城は、應仁年中、竹腰伊豆守·住すと。又本某郡唯越城(本田村只越)の城主は、西美濃十八將の一人、竹腰攝津守守久、天文弘清永祿の頃住すと。又各務郡岩田城(岩村岩田)は竹腰七郞重綱、同彥五郞尙綱の居城と云ひ、柳津城柳津村)には竹腰攝津守住すと云ふ。此の族·多けれど、系圖詳かならず。また新撰志、安八郡大垣城條に「天文十三年より、織田掃磨守·此の城に居れり。竹越振津守重吉入道道摩(或は道鎭、道珍.また道椿ともかけリ)天文十七年よ志摩に存す。タケカミータケキタケクチ-タケクラタケクラ-タケコシ三三九三 タケコシタケコシ-円リ永祿二年まで當城に住す」と載せ、又竹腰攝津守尙元等を擧ぐ。竹腰正時の子正信の生母·龜女(志水氏)は德川家康に寵せられ、一子を伏見邸に生む、尾州侯の祖義直これなり(志水條を見よ)よりて子孫尾州候に屬して三萬石を領し、美濃國今尾に居る。その子政晴也。又その裔に義忠あり、淺井惟寅(圖南先生)が著はしたる故今尾侯義忠府君行狀に「府君は濾州武儀郡志津野〓經常山下に葬る。其の臣·私諡して義忠と云ふ」と。その墓銘は林家の作にて「張藩大夫從五位下山城守義忠·竹腰府君の碑。府君·諱は正武、姓は源氏、石河章長の少子なり。元祿中、信濃守竹腰正辰·養つて己が子と爲す。時に年十五にして竹腰氏を冒す。母樋口氏中納言信康の女なり。元祿十四年、府君·張藩圓覺矦に謁し、左右に給事す。寳永三年正展、致仕して府君·祿五千石を襲ふ。大正、竹腰氏の大宗正映卒す、嗣なし、府君·其の後を承け、食邑三萬石、濃州安八郡今尾〓に在リ。明年三月、文廟に朝謁す云々。府君·貞享二年十月二十七日に生れ、寶曆九年十二月十日に卒す。と載せ、又府君に三子あり、皆卒す。是に於て黃門矦·公子勝紀を以て、竹腰氏の後と爲し、從五位下、壹岐守に拜せられて、其の祭祀を續ぎ、山城守に任ぜらる云々」と(新撰志)。明治に至リ男爵を賜ふ(竹腰正巳)。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[9]:30頁、32頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[56]:110頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[175]:22頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[211]:153頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[218]:31頁、34頁

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:93頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第二:154頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:92頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第2:152頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):94頁、386頁

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系図・系譜

関連論文

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