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窪田(在原姓)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

6在原姓幕臣窪田氏の家諸に「在原朝「在原朝 あり。子孫彥部條を見よ。16阿倍姓久保田氏奧州阿倍氏の族にして、頼時の五男磐井五郞家任の後なりと云ふ。17加賀の窪田氏石川郡安吉村の豪族にして、三州志、安吉壘條に「天文十九年より、窪田大炊經忠·居る。天正八年、此の城·勝家の爲め陷ち、經忠鬪死して、其の首安土に於て梟せらる」と見ゆ。又山中、黑谷條に「天正八年三月、窪田大炊(安吉村郷士)此に退く」름土屋、大久保等の條參照。18越前の久保田氏朝倉氏配下の將に久保田勘十郞あり。19佐々木氏流佐々木時信の四男宗氏の後なりと云ふ。家紋丸に三笹の丸、丸に揚羽蝶。20足立氏流丹波志に「久保田氏、子孫、稻土村菅原。足立氏なり。百五十年以前は檜倉村に住す。今も古屋敷田となり、字久保田と云ふ。往古より今に小倉村の門森に建つ神樂大明神の社役を動む。古より無官にて裝束す、」と見ゆ。21紀伊の久保田氏當國の名族にして、また窪田ともあり。日高郡小松原村地士に久保田次郎太郞、久保田武左衞門、久保田信太郞、久保田武藏あり。又窪田隼人佐あり、田口條を見よ。畠山家の家士裔なり。又伊都郡東志富田村地士に久保田民右衞門、在田郡中野邑八幡宮社家に久保田大學等續風土記に見ゆ。22豐前の久保田(窪田)氏筑城郡の豪族にして、永享應仁の頃、久保田義持あり。又下毛郡に存す、元亀天正の頃、窪田治部丞と云ふ人、物に見ゆ。23大友氏流筑後の名族にして、もと蒲池氏配下の將也。將士軍談に「鎭明賃は朽綱宗壽の二男也。宗壽·蒲池家の斷絕を歎き、蒲池を繼がしむ)-鎭正-鎭春-鎭廉(初め蒲池吉左衛門源鎭康と號し、後に醫となり、鶴康庵と改め、壽松軒と稱す。安永八己亥十一月卒)-鎭俊(實は久留米藩士堀尾氏の男也。鏑康養ひて子と爲す。扱心流柔術を以つて、熊本に仕ヘ、百石を食む)-秀種(江口源次郎と稱す。實は幕府の臣高橋太夫誠種の子也。鎭俊子なきを以つて、養ひて聲とす)-鎭勝(窪田治部右衞門と稱し、幕府に仕ふ。文久二甲子年、日田御郡代と爲りて豐後に下向す)-女子安野氏に嫁す)、第鎭章」と。又西念寺過去帳に「知登處士、慶安三實年九月十八日、吉里村の住窪田主水正の子、助右衞尉、庄屋之始也」と見ゆ。24肥後の窪田氏當國の牽族して、正平十六年の阿蘇惟澄文書に「肥後國小河守護代窪田武宗」とaまた「肥後小川城代窪田武宗」と見え、下りて嘉吉三年の菊池持朝侍帳に「窪田民部九惟冬、」永正元年菊池政隆侍帳に「窪田式部九重宗、翌二年十一月十八日阿蘇文書連署に江田大和守爲宗」を載せたり。25肥前の窪田氏小城郡の窪田庄より起る。當國の大族にして、河上社文治二年五月文書に窪田太郎高直·見ゆ。高木氏の族か。下つて要略永正七年三月條に審田胤俊あり、千葉氏配下の將なり。26大伴姓大隅國の窪田氏にして、大伴姓と云ふを見れば、肝付氏庶家ならんかと云ふ。家讓名は兼、定紋は雁金とあり。初代隼人佐-出右衞門ー傳兵衞-眞堅坊-刑部左衞門-西兵衞-正左衞門-七右衞門-正兵衞。三代傳兵衞は高山の人大石七右衞門重明の二男にして、五代刑部左衞門は、同じく高由の人二階堂大林坊朝倉氏配下の將に久行安の二男、八代七右奮門も亦高山の人上村甚助の二男なりと。27日向の窪田氏日向記に窪田〓右衞門尉等を載せたり。23藤原姓久保田にして、駿河の名族。又、社家にも在り、内外社寺記に「淺間惣社神供仕立役、久保田源之丞」とし29雜載その他、新發田溝口藩用人、金澤米倉藩用人に窪田氏、幕府千人頭窪田助之丞、窪田十三郞。小給地方由緒書寄帳に「窪田新之丞、窪田半十郞、」加賀藩給帳に「參百石(丸内ケン片喰)窪田修理、」京極殿給帳に「貳百石久保田藤右衞門、」秀康卿給帳に「七百石窪田五右衞門、ニ百石窪田半助、」等見ゆ。又香宗我部氏記錄に「窪田八良兵衞、窪田孫右衞門、一鯖江藩に窪田文了、大村藩に久保田生等あUo又備前、豐前、信濃、津輕、美濃、備後、志摩、安藝等にあり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:44頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:34頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之2:109頁

系図・系譜

関連論文

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