秩父別當武(4)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4陸前の澁谷氏川內四頭の一也。餘目舊記に「河内七郡には澁谷、大掾、泉田、四方田とて、文治五年に當國に下リ、外樣に四頭一揆にて候ひしが、千騎衆たり」とまた「しぶやの一ぞく」また「しほや先祖、泉田、四方田、文治四年五月下リ候」など見え、伊達世次考にはフォル五五、賴朝卿、泰衡を滅ぼすの後、川內五郡、長世小田二保、之を澁谷云々に賜小是を川内四頭と名づく云々」と。又仙臺藩福田氏の家譜に「先祖澁谷庄司重澁谷佐々木本3武蔵の澁谷氏此の氏は前述の如き相摸發祥なれど、當國豐島郡に澁谷邑あり、而して源平盛衰記、一に「武藏國住人澁谷庄司重國」と見ゆ、早く此の族ありしならん。新編風土記、御府內備考等にも「澁谷氏は相摸高座郡澁谷より起りし氏なれど、一族·此の地に移住するものありて、澁谷村の名起れるか、」と。また「源義家·奥州征伐の時、村岡五郞良文の孫秩父十郞武綱、同重家父子、從ひて軍忠を抽んず。其の賞として義家の一字を賜はり、基家と號し、氏を河崎と名づけ、當所谷盛の庄を宛行はる。後重家·京都在勤の時、賊徒澁谷權介盛國と云ふものを、禁中にて搦め捕へければ、時の天子堀河院賞せられ、土佐守に任じ、澁谷を以つて氏に命ぜらる。其の後、所領なれば愛に住せり。故に澁谷の地名起れりと云ふ。重家·永治元年八月十五日、テを儲け、名を金王丸と號す。十七歳の時、國の次男武藏權守實重云々」などあるも此の族か。後大崎氏、及び葛四氏に仕ふ、奧羽舊事に「大崎氏四老澁谷云々(大崎盛衰實記)」と云ひ、古川狀に「大崎義直隨從の兵、澁谷黨·中目、師山、小袋、寺尾、飯川、郡、大衡、牛袋等」を擧ぐ。而して封内記に「栗原郡有賀邑古壘は葛西家臣澁谷式部の居る地」と。又「志田郡師山邑古壘は大崎家臣澁谷彌三郞の所居、」また「桑折邑古壘は同澁谷相摸の所居」などあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)