私市(2)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2武藏の私市氏武藏私部の後裔にして當國の大族なり。私部條參照。其の發祥地埼玉郡騎西庄は新編風土記に「合村二十一、或は私市庄とも書り、騎西町よリ起りし庄名にて、私市黨のものゝ出生の地なることは、騎四町の條に辨せし如Lo今領名となれるは、根古屋古城に松平周防守が住せし頃、城附の村々を號せしより起れりと云ふ」と見え、又騎四郡、琦四郡の私稱あり。されど持四は琦東に對する語にて、埼玉四郡の意なり。然らば、私市と語源を異にす、蓋し偶ま暗合せしものか。新編風土記、また騎四町條に「當國七黨に私市黨あり。此邊に住せしめ、在名を以て黨に名付しならん。」とあるは誤れり。私市氏系圖に「武州埼玉郡太田庄鷲宮大越前にあり。オホキサイ條物私造の連を賜ひ物部氏の族15 16キコ- キサイ明神の氏人たるにより、姓を私市と號す云々。但し姓氏錄に見えず。牟自-勇福百庭(從七位下)-七國-本麿-濱黒-濱人(從五位下)-廣成(神護景雲三年、四大寺建立の時、濱人、廣成は大福者たり、布一千五百疋、稻六萬東を寄進し、上聞に達し、從五位上に叙せらる)-黑山(私市部領) -黑長(部領使、第に成主、持主あリ)-黑公-家盛(武議權守)-家景(第に高家あり)-則家(掃部助)-則房-成方(武州埼玉郡、同國男衾郡、所々相傳、河原權守と號す)-成直(河原五郞)、」及び則家弟「長久(私市)-家季-李氏」と見ゆる一族大いに榮え、成木、久下、市田、楊井、草原、河原、太田の諸氏となる、總稱して私市黨と云ふ。太平記卷三十一に「私市、村山、橫山、猪股黨」と0又小田原記に「私市黨は私市姓、河原、久下是なり」と見ゆ。ムサシ七黨條を見よ。熊各氏は此の私藤の讀頭と稱す、クマガヒ條を見よ。此の黨の出自については予單甞つて論あリ、其の一部を拔萃すべし。「私黨中、河原太郞高直、同次郞忠家(盛直)、久下權守直光、同二郞さね光等は、何れも同時キサイ代の人であるが、私市系圖は高直を河原次郞と註し、盛直を高直の兄有直の子守直とすると、共に東鑑や平語と合はない、(カハラ、クゲ條參照)。又久下直光は系圖久下憲重の子直光であらうが、さうすると、大分に河原高直と世〓が違ふ故、同時代としにくい。又二郎さね光の名もない。よつて系圖は此邊にも誤があるやうに思はれるが、更に湖つて、廣成は神護景雲の人と云ふ。しからば其れより六代も前の百庭は、上古の人でなければならぬのに、從七位下などとあるは信ずるを得ないのである。よつて此の系圖には餘程誤があると見ねばならない。尠くとも系線の引き方が違つて居る樣に思はれる。或は廣成は物部直廣成の事かも知れキサイ一八六〇樣な點から武藏國造族と思はれる丈である。A私部は后部であつて、后妃の封民である。斯樣な封民は、普通國造に命じて設け、而して國造に管理せしめるのが常である。よつて此の國の私部は武藏國造の管理で、私市部領は其の一族から出たと思はれるのである。B此の氏の氏神と云ふ鷲宮の祭神は、武藏國造の大祖先天穗日命だと云ふ事であ3:たとへ其れが事實でなくとも、兎に角、此の園々造と關係のある神社であらら。果して然らば、此の氏が此の神を氏神とする事は、國造一族たる故でなからうか。c此の氏の發祥した埼玉郡は、武藏國造笠原直の居つた地である、よつて此の郡で有力なる此の氏は、笠原直と関係あるらしく思はれる。以上。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)