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概要
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姓氏家系大辞典
條を見よ。慈ジ鹽飽シテ,讃岐國鹽飽島より起る。又圓光大師書傳に、鹽飽並見え、「庄の預主駿河守高階時遠入道四仁が館に寄宿し給ふ云々」とa 1綾姓南海通記に「屋島、香四は香西領也直島、鹽飽島·之に屬す」と。又「我が鹽飽の島は、備讃の間に在りと云へども,讃州阿野郡に附屬す。昔神武帝東征の御時、吉備の中州高島の宮に止り給ふこと、三年にして、中國、南部の兵を聚め、東州趣き給ふ。是れ鹽飽の要地に倚リ給ふ故也。十二世景行天皇に當りて、筑紫の熊襲亂を作す、日本武尊をして四征し給ふ。其の時、賣飽の海表に惡神在りて西州の客船を愉し、海上の往來を絕す。尊卽ち吉備の穴戶(今の藤戶)に止り給ひて、是を退治し、行客の憂を救ひ給ふ八十一世安德天皇·讃岐の屋島に皇居し給ふ時、左馬頭行盛をして此の海表を保たしめ、備前の兒島に城原を構へて、東兵の通路を絕つ。其の後武家の世に成りて、鎌倉將軍家、北條時續執事に方リて、備限の間に漆賊四州の行客のキサイ條を見よ。煩をなす。讃岐國香河郡司藤の左衞門家資·兵船を促し、香西の浦宮下の宅に勢揃して、手島比々瀨戶二口よリ押出し、京の上薦にて船軍し、終に降參せしめ、百餘人を虜にして、京六波羅に獻じ、鎌倉殿に達す。北條執事感賞し給ひて、讚州諸島の警衞を命じ給ふ。家資卽ち諸島に兵士を遣して守らしめ、直島、鹽飽島に我が子男を居置えて、諸島を保守し、海表の非常を警衞す。是れ宮本氏、高原氏の祖也。又宮本とは家資の居宅·宮の下なる故に、宮本と稱號する也。京都將軍家に至りて、鹽飽諸島の人等、細川管傾家に屬して徭役を勤めしむ其の比、大内政弘·將軍家の命を受けて、大明國の勸合を領し、商販の船を渡して交あを利せしむ。宮本佐渡·是に隨從して、大明國、朝鮮國に渡海し、貨利を得て家を豐かにし、子孫を安寧にす。天文弘治の比、能島村上衆に語合ひ、大明國に入りて合戰し、武勇を異朝の記籍に遺す。近世·太閤秀吉公九州征伐の時、鹽飽島、直島の住人等、西海の案内者として召出され。宮本、吉田、妹尾、直島の高原等をして、舟師を掌しむ」云々と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)