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磯武

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

觀應二年六月十三日文書に「藏武三郞五郞公武申す、恩賞地出雲國岡本郷、笠間長門守跡事云々」とo前條にて云へ動臣イソサキ-イソシイソシイソシ-イソタケ三五 イソタニ-イソノイソノとして其の名高し、磯野右衞門大夫員詮が子なり。寛政系圓は磯野氏を佐々木支流に收め、磯野秀昌の孫政賢より系あり。家紋丸に三葉三篠、五三桐。磯野村に磯野山城あり、高さ一町半計り、淺井備前守家臣磯野丹波守古城の跡也。また高島郡大溝城(古城より四五町下)は輿地志略に「天守の址今に存在す。此城は佐々木の臣磯野丹波守居城の址にて、後織田信澄此城に居れり、」と。又磯野丹波守員政は高島郡の產、大剛の士也。佐和山の城主となる。磯野右衞門大夫員詮が子也。又磯野源三郞爲員も磯野右衞門大夫員詮が子、强弓の精射也、と奥地志略に見ゆ。又犬上郡澤山城(里根村澤山)は磯野丹波守盛豊初て築けり、其後丹羽長秀こゝに居ると。また坂田郡梅原村に福島城あり、淺井家記に「永正七年三月十八日、今井肥前守、磯野左奮門大夫を梅原の要害にとめ置」と見ゆ。また同郡磯山城は磯村の南磯山にありて、淺井の家臣磯野丹波守此處に城を築き防戰す、同姓源三郞爲員また此地にありなど見ゆ。丹波守は江濃記以下諸書に多く見ゆ。イソノ-イソノカ

系図・系譜

関連論文

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