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石動(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2伊勢國造伊勢國の大國造なり。國造本紀に「伊勢國造、橿原朝、天降る天牟久怒命の孫天日營命を以つて、勅して國造と定め賜ふ、」また「天日鷲命を以つて伊勢國造と爲す。卽ち伊賀伊勢の國造祖」と見ゆ。天日鷲命は伊勢國風土記に「夫れ伊勢國は、天御中主命の十二世孫天日別命の平治する所なり。天日別命は神倭磐余彥天皇、彼の四宮より、此の東州を征するの時、天皇に隨ひて紀伊國熊野村に到る。時に金島の導に隨ひ中つ州に入る。而して莵田下縣に到り、天皇·大部日臣命に勅して、曰く、逆黨廳胸長髓宜しく早く征留せよ。廼ち亦勅して天日別命に詔はく、國·天津の方あり。宜しく其國を平ぐべし。卽ち標の劔を賜ふ。天日別命、軸を奉じて東の方則百里入る。其の邑に神あり。伊勢津彦と名づく、天日別命問ひて曰く、汝國天孫に献ぜん哉、答へて曰く、吾此國を竟め、居住する日久し。敢へて命を聞かじ矣。天日別命、兵を發して其神を戰せんと欲す。時に長伏し、啓して曰く、吾が國悉く天孫に献らん。吾れ敢へて居らず矣、云々。天日別命、此國を壊築して天皇に復申す。大いに歡び詔はく、國宜しく國神の名を取り、伊勢と號くべし、」とある天日別命に同じ。今豊受太神宮禰宜補任次第によリ、此國遺家の系圖を示せば「國常立命-天八下命-天御下命-天合命-天八百日命-天八十萬魂命-神魂命-櫛眞乳魂命-天曾己多智命-天嗣枠命-天鈴梓命-天御雲命-天牟羅雲命(一名天二上命、一名御小橋命) -天波與命-天日別命-彥國見賀岐建與東命-彥田部久福命-彥楯津命-彥久良爲命-大若子命(一名大幡主命)」と。此大若子命は倭姫命世記に「十四年乙巳、伊勢國桑名郡代の宮に遷幸し給ひ、四年奉齋す。時に國造大若子命(一名大幡主命)御共に參り相ひて供奉す。國內の風俗を白さしめき。又國造 イセイセイセ話題建日方命も參り相ひき。汝の國の名·何と問ひ給ふ。白さく神風伊勢國と白し、含人·弟伊爾方命、又地口神田、並に神戶を進め、又若子命は舍人弟若子命を進めき」と見ゆ。此の乙若子命は度會神主祖なり。國造建日方命は皇太神宮儀式帳に「伊勢國造の遠祖建夷方」とす。大若子命と同族なるは、神名秘書に「天日別命五世孫武日丹方命」と見ゆるによりて知るべし。度會氏系圖もほゞ同樣にして、大若子命に至り、「越國荒振内賊阿彥在て皇化に從はず『取り平に罷れ、』と詔して、標の劔を賜はり遺す。卽ち幡上罷り行く。取平げて返事白す時、天皇歡び給ひて、大幅主の名を加へ給ひき。垂仁天皇卽位廿五年丙辰、皇大神宮·伊勢國五十鈴河上宮に鎭り座すの時、御供仕へ奉り大神主と爲る」と。大若子北秋征代の事正史の上になけれど、崇神朝大彥命の北征は當地方を經過し、伊賀伊勢の士多く從軍したりと考へらるるれば、恐らく事實ならんか。次に其弟乙若子命(大神主仕奉)」-電佐布命彦和志理命阿波良波命〓小爾佐布會-小和志理命御倉命事代命佐布友命爾波円大佐佐命-飛鳥二門-野古命-水通三門乙乃子命-小事四門伊勢國造と度會氏とは同族なる事明白なれど、同一家なりしや否や詳かならず。されど倭姫命世紀に「國造大若子命、名大幡主命」と載せ、神宮雜例集卷一に「本記に云ふ、皇太神御鐵座の時、大幡主命云々、白さく己が先祖天日別命、伊勢國内機部河以東を賜ひ、神國と定め奉る。卽ち大幡主命、神國造、並に大神主定め賜ひき」と見ゆるを思へば、伊勢國造家卽度會神主なりしか。何となれば神國以北の諸郡には、各々縣遣ありて伊勢國造の治めしと考へらるゝ土地なければなリ。

系図・系譜

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