矢賀部
表示
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
同上。又筑後の豪族に矢加部氏ありて、矢賀部、矢ヶ部等に作る。領主付、門戶の士に矢加部氏を載せ、四念寺過去帳に「川瀬城主矢賀部常陸介鑑典の叔父右京亮重純」を畢げ、蒲池系圖に「宰臣矢賀部大學と云へるは老功の智臣なれば、川瀬村に居住」Is又矢ヶ部大學國廣は山下沒落に依りて、肥後熊野度に赴き、家臣近藤主計、同數馬、榊四郞等·川瀬館を守るとぞ。又開基帳に「上妻郡半禮村大聖寺は元寺領なく、享祿二己丑年より蒲池矢賀部十郞九郞藤原久興·寺領を寄進し、上妻郡太原村の内山下三丈、同名の内山別八丈、合せて二反餘·久興一代限リ寄附」と此の氏は藤原氏にして、矢賀部系圖に「大和守(上蒲池和泉守親廣の長臣、矢ヶ部大學·初め館を川羅に構へ居る。着き家(母は浸落魄、大学圖房感じて正技能野度に住す。大利守は其の監族也天正十五年、立花宗茂·大和守を以つて大庄屋となし給地を與ふ、其の狀今猶ほ傳へ『天正十五年十一月二十八日、矢賀部大和守殿、統虎判』) -〓右衞門尉(享保二十卯年大庄屋役)-忠左衞門-同太左衞門」とあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)