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矢崎(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

1諏訪神家信州の豪族にして、諏訪系圖に「檢行敦家-直家(矢崎神六)」と載せ、一に矢島と見え、又「矢ヶ崎は大祝敦光の弟諏訪次郞〓貞の男眞盛を矢ヶ崎神六」と云ふと。而して鬼場城(矢ヶ崎村は、元層の頃矢ヶ崎佐渡守晴時、同左衞門重時·居り、後神澤氏·居城すと。又諏訪志料に『矢崎氏·元祖は諏方大明神より出づ。當郡矢崎に古き地名なり。其の先は大視貞光·安男諏訪二郞〓貞の男貞盛·矢崎神太と云ふ。又喜水二年に矢崎小四〓と云ふ人あり、同族の人なるか。又舊記に「大祝盛信の代、矢崎小四郞、第貞權」、寛正五年甲州出陣に矢崎上野守、文明十五年に「矢崎肥前守、同對馬守·出陣」、十六年に矢崎痛鬱、同子息土佐、天文十四年に「矢崎和泉守は鹽尻嶺合戰に勳功あり」と。又永祿八年四月、神主矢崎の五郎左衞門、同九年に矢崎四郞兵斷等見ゆ。又一說に「矢崎氏の中祖は矢崎準人正也。其の系は大己貴命の子健御名方命の裔に出づ」と。準人數代の胤を民部と云ふ、次に甚五左衞門、其の子蔵人、及び刑部と云ふものあり。其の刑部は永祿十年、甚五左衞門聟養子となり、後笠原氏に改u藏人の子土佐、及び右門(一に右衞あり、土佐は慶長年間、上政訪に下る○右門は塚原に居住す。天正中、同族又右衞門、和泉、長藏は甲州に、勝三郞は佐久郡に、勘右衞門は西山田村に各々分居すと。又永祿十年八月の政方五十騎邑請文に矢崎五郞右衞門、又同壬午九月十六日、諏訪賴思より鑫原六承に宛てたる朱印狀に「中村の内、矢崎與五右衞門分參貫文」と。又同十六戊子霜月十六日、貫文の朱印地調差出案に「一貳貫四百文·矢ケ崎撮祝、右之内四百文荒引」とあり』증現今丸に根置、丸に矢達等を家紋とす。なほ笠原條參照。2〓和源氏木曾氏族旭將軍義仲の後にて、義信を祖とすと云ふ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[55]:21頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[84]:76頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[90]:97頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[170]:35頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[304]:109頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[325]:19頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[332]:134頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)下巻神別,外別:122頁

系図・系譜

関連論文

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