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相摸(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2後の相武國造出雲臣の族なり。蓋し前項相武國造·誅滅の後、定置したる國造なるべし。國造本紀に「相武國造、志賀高穴穗(成務)朝、武刺國造の祖·神伊勢都彥命三世の孫·弟彥命を國造に定め賜ふ」と見ゆるによりて知るべし。又後のものなれど、四角井系圖に「若伊志治命の子兄多毛比命、一に云ふ大多毛比命、云々、成務天皇御時、无邪志國造に定賜土煑その第·乙多毛比命、一に云ふ弟多氣彥命、同朝に相武國造に定め賜ふ」と載せたり。相摸の國名は、恐らく相摸原附近よリ起りしものにして、高座郡こそ國造治所の所在地と考へらる。面して延喜神名帳に同郡「寒川神社(名神大)」とあるは、此つ國造の宗祀ならん。當社は、惣國風土記に「相摸國高座郡寒川神社。祭る所、菊理緩也。雄略天皇の十六年九月、初めて幣帛を奉る。古來侶俗の談、熊野、多賀に詣づる莫れ、則ち此の社あればなり。往昔、東奥の俗·多く此の社に詣づ」と載せ、また東艦、建久三年八月九日條に「相摸國神社佛寺に神馬を奉る云々、宮佐河大明神」とあり。神社の附近、岡田村安樂寺に大塚あり。凡そ廿間四方、廳神塚と唱ふ。塚上に大日の石像ありて、蓮華座に「大塚山安樂寺成就院は、傳聞く相州一宮寒川大明神の碑、先王の御劇窟也。天和二年壬戌十月、法印善營造혼と彫れり。蓋し當寺は古へ寒川神社の別當なりしと云ひ、彼の社傳に、祭神は廳神天皇なりと傳ふるが故に、後世附會して廟窟と稱し、應神塜など唱ふるならん(新篇相摸風土記)と。思ふに國造歷代中の古墳か。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

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