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直(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

經て、景重の男爲安·賴朝に召され、釆地を悉く賜はり船山城に移る。其の子準人重安、同石見守爲〓、同兵庫頭正綱、同信濃守長國、同中務少輔爲明、應永年中近〓を打從へ、大身となる。其子爲信、同重國、同重辰、同長展、同政公、同長〓長公の母は知久賴元の女なり。當時八百貫文を領し、武田氏に屬し、天正十年三、織田氏討入のとき、大島城に討死。父は北古瀨に切腹。これにより船山落城。法名正樹院殿道祐政公大居士、端應院殿天祐長公大居士。凡四百七十年にして斷滅。其の後、長公二男子あり、長子源太郞長經は慶長中德川氏に仕ふ、二子爲經浪人となる、」(伊那武鑑)と。大島附郷士は新居隱岐十八貫、齊藤六郞左衞門十五貫文、下平治部少輔廿五貫文、竹村治郞左奮門廿五貫文、天正十年主家と共に沒落、民間に降る、(伊那武鑑)と云ふ。又甲鑑伊奈衆に「大島、片桐、飯島、ハイ、アカ津、五人五十騎、」と。文南向村葛島にも片桐氏の堡砦あり。天文三五、片桐船山の城主若狹守長辰の次男安藝守久保·此に居り、百五十貫文を領Lv子信正、子正保、天正十年討死。二子千代松、小治郞、共に民間に降る、(根元記)と云ふ(關順次氏)。其の他片桐中務少輔等ものに見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

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