盛思(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
條に併せ云ふべし、信濃國の學族なり、其の他便宜上、カミツ條にて述ぶカウタリカウタリカウチ-カウツキ一三八五 カウツキカウツキカウツキ-カウツマ二六七-景則、弟義景-景滿、及び義景弟景行」と見ゆ。されど上月系圖には「賴則-賴景(賴則三男、上月上祖、上月右馬尤)-景盛(上月次郞)-次郞太郞盛忠-次郞太郞義最-新兵衞景滿-大和守景祐-甲斐守最保(聖範)-甲斐守吉景(聖義)-左近將監景氏-同滿氏-同滿盛-同滿吉美濃守) -同滿照-同滿平-同滿家-同滿秀-右衞門佐秀盛(播州を出で阿州に入5)姓を本田と改む)-信氏(八郞左衞門尉、氏を吉浦と改む) -信貞幸左衞門尉)」と載せ、岡本系圖には「頼則-最盛(上月次郞)-盛忠(上月)-景則、弟景行(號福□)」とあり。此の氏は赤松家風條々事に御一族衆として此の氏を收め、又上月記、康正二年丙子十二月廿日、大和國字智郡人數に罷向ふ人數の着到に「上月左近將監(滿吉)云4二宮の御頭を討ち奉リ了る」と(文明十年八月滿吉判書)。また文安年中御番帳に「外樣衆、赤松上月大和入道、赤松上月治部少輔。」また常德院殿江州動座着到に「赤松上月治部少輔。」また赤松記に「細川殿衆に河合八郞と申人、云々、阿方の我等知行を、八郞由緒あるよし望申し候.阿方村は上月伊勢と申す人の跡式云々」また「河合八郞、後には上月八郞と申候、子細は御馬廻りに上月右京亮と申七、福井淺日山合戰に打死し、息女一人計持候に付て、彼八郞を聟になし、上月を名乗申候」とあり、皆此の族ならん。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)