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的(8)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

8播磨の的氏播磨に的部〓ありて的部の住みし事は的部條にて云ふべし。此の國的氏については、峰相記所載の傳說に據るに「天平寳字七年、揖保郡布施〓に五足の犢子を生む。異族大兵亂の由占ひ申す。翌年新羅の軍船二萬餘艘、當國まで貴入て、家島、高島に陣取る。朝家篤いて藤原貞國に的姓を給り、的を射過す、將軍の宣下を被り、官兵を駈て追討す。魚吹津より出て發向。中の手は國司錺磨郡司等、東の手は明石大領大和續長等なリ。爰に大風吹きて異賊七百餘艘渾沒し擧ぬ。貞國は四五郡の大領と爲る。大田、福井、石見等は貞國の領所にて、住所大田郷楯鼓原なり」と。又「黑岡明神は貞國にして、その後胤的氏は當國に去る人有」等云へり。此等の傳說は種々の分子より發し、その發生の原因を探り、起原に溯る事は難けれど、番磨風土記の的部の記事に照して、古くより當國に的氏の一族、勢力ありしや想像するに難からず。藤原氏など云ふは園より信ずるに足らざるなリ。傳說中に的を射通す將軍とは、的戶田宿禰を指すや明白とす。而して仁德紀十七年條に「新羅朝貢せず、九月的臣祖砥田宿禰、小泊瀬造祖賢遣臣等を遺はして調貫の事を問はしむ。こゝに新羅人懼れて調絹一千四百六十西、及び種々の雜物、並に八十艘を貢る」と見えたるに照せば、傳說中の新羅入寇と云ふは、これを指す事も想像するに難からず。蓋し的氏が播磨に其の配下たる的部を得たるは此の戰功の結果ならんか。從つて此の傳說の根底は此の國的氏の傳說に基きしや明白なりと云ふを得ん。的戶田宿禰の新羅征伐は、高麗好大王の碑に「百殘、新羅はもと、これ高麗の福民、由來朝貢す。而るに倭國辛卯年を以つて海を渡り、百濟新羅等を破りて臣民的臣後に宿となす」とあるに當るべし。兎に角此の遠征は大成功にて、的氏の勇武の程も想像さる。從つて的なる名を賜ひしと云ふも恐らく事實ならんかと考へらる。

系図・系譜

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