的(1)
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概要
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姓氏家系大辞典
上古以來の大族にして、武内宿禰の後裔、葛城氏の一族なり。播磨、淡路、筑後等にイクハの地名あれば、此の氏は、此等の地名を負ひしか。或はイクハとは矢を射るに用ふる目標、卽ち的の古語なれば、それに關する職名より起りし名か。上古の部名に的部あり、播磨風土記的部里條に、「右的部等此の村に居る、故に的部と云ふ」と見ゆ。此の的部は、後說を採れば、的を造る事を職とせし品部と解釋さるれど前說を採れば的氏の部曲に過ぎずと考へらao孰れより云ふも的部は的氏の配下なれナマタメ條を見よ。下「藤原、イクナガイクナガイクヌマ足羽戶田藩の重臣にあイクタ-イクタマイクタメ-イクノイクノヤ-イクハ六 ど、もと職業より越りしか、地名より起りしかによりて、的氏の起原に差違あり。但し仁德紀十二年條に「七月辛未朝、高麗國鐵盾鐵的を實る。八月庚子朝己酉、高従客を朝に譬す。盾人宿福、高麗の獻ぜし鐵盾的を射通す。よつて其の翌日名を的戶田宿福と賜ふ」と見えたるを事實とすれば、的氏の起原は甚だ明白なりとす。卽ち葛城氏の一族盾人宿禰、鐵的を射通せしより起れる名稱にして的部とは其の部曲に過ぎざるなり。暫く此の說に從はむ。的戶田宿禰は此の後十七年條に新羅を討ちしことを載せたり。播磨の的氏條を見よ。