田籠(4)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4羽後の高坂氏田川郡の高坂邑より起30會津舊事雜考に「康正元年云々、華族越後守高坂文遵」見ゆ。高坂館に據る。縣誌提要に「高坂館は大寶寺屋形武藤義氏の老臣高坂中務居住す。義氏暴逆にして、人民怨みを呑む久し。高坂屢々諫むれども聽かれす、最上義光之を聞き、家臣草苅備前に謀を授けて之を逐ふ。備前·高板に依り、說いて謀を共にす。義光兵を率ゐ、松根に出で義氏を攻む。備前等火を放ちて內應す。義氏支ふる能はず、終に自刄す。天正十二年の事とす。此の地既に平ぐ、義光·高坂を臣屬と爲さんとす。高坂固辭して曰く、義氏·主と雖も暴なり、人民を如何せん。而して今日事公を助けて、然るに非ず。吾が歲六十、且つ子無し、豈獨り榮花を保つに忍びんやと。後複た面せず、遂に家士族從に、金貨財物を分與して去らしめ、其の身は大和江戶氏國金剛山に入りて世を通る」(義光物語、羽源記、風土略記)と0夏目記に「高坂玄蕃が越後へ内通」の事見ゆ。玄蕃は義光記の中務の子歟。又義光記、中務述〓の詞に「屋形義氏十二歲Cカチ、越後村上へ軍を出し、高坂が采配にて、武名を近國に揚ぐ」(地名辭書)と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)