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玉津(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

山城に玉津岡神社、紀伊に武藏に玉數神社あり。備中、土佐、肥前等に玉山城に玉津岡神社、紀伊にる、所謂る丹八坂項·是れ也。仲哀天皇の御世に到り、玉造人等を召し返し、其の□人荒木命(櫛玉彥三世孫大目命也)に詔して、巨勢の地三十代を賜ふ。是に荒木命、新に神殿を造り、祖神等を齋き奉リ、羽玉神社と曰ふ。此の時に當り、矢玉神社を遷坐し奉り、都べて合せて四座とし、之に奉仕す。神功皇后·三韓を征伐せらるゝの年、荒木命を扈從せしめ、豐浦の海邊に於いて、如意寶球を得て之を獻上す。玉祖の名を負せ、氏と爲す。卽ち玉祖連の遠祖也。古老の口傳、氏祖の系譜を閱して其の要を摘み、注進せしめ、仍りて狀を上る、謹んで件の如し。大同三年月日、玉造人·玉祖宿禰(在判)」と見ゆれど、爲書なるや明かならんか。但し大和志料は、本書により、「此れ巨勢の玉工玉祖氏、其の宗社の由緒を官家に注進せし文書にして、卽ち當社の注進狀なり。宜しく以つて正となすべし。蓋し天孫の降臨するや、天明玉命これに扈從し、爲めに神幣玉璧を造る。子孫·其の職を歸ひ、玉祖又玉作を氏とす。姓氏錄に云★。仲哀神功の際、玉作荒木あり、巨勢の地を賜はり、之に居る。乃祖羽明玉豐玉の二神を羽田に祭り、是を羽田間社と稱すると同時に、更に其の遠祖櫛玉彦、櫛玉姫の二神をも添軽矢田(神名帳に添下郡矢田坐久志玉比古神社二座、是れなり)より勸請し、之を矢田間社と稱し、其の祝部となり、祭祀を掌りしなり。然らば延喜式に當社四座とあるは、羽田間の二神と、矢田間の二神とを併せ、之を櫛玉命社とも、玉造社とも、惣稱せるものなれど、其の實は二村に分在ならん」と云へリ。また大同類聚方卷七十二に「大和圖龍江玉造井麻(以下缺字)」と見え、また宇陀郡玉岡水分綠起に「專に和州字陁郡玉岡に鎭座する水分大明神は、神代の昔、水門神速秋津彥神の第五子也。人王十一代垂仁天皇御宇、太神宮の神職·玉造村尾、御神詫に任せ、御裳濯河の水を以つて、水分の神體と封じ、風輩に納めて、和州に趣き、高山に登る。云々」などあり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

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