猿丸
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
攝津國蒐原郡蘆屋村の名族にして、猿丸大夫の後と云ふ。鹽尻に「猿丸大夫は蘆屋村の人のよし、則ち屋敷とも申し傳へ、これ有り」と見ゆ。現今同村に猿丸姓四戶あり。又左衞門、及び吉左衞門の系諸は左の如し猿丸又左衞門略系譜に「人皇三十一代用明天皇-厩戶皇子-山背大兄王-弓削王(山背大兄王の第三皇子、猿丸太夫と號す。聖德太子の一族滅亡し玉ふ。獨リ弓削王死せずして、舍人數人と先づ深草に遁れ、後に難波葦屋に避け、自ら其の名を猿丸太夫と改め、悠々自適して世を終る〇是れ猿丸家一流の始祖也。子孫世々猿丸太夫と號す。慶雲四年丁未九月十六日病卒す。葦屋山中の藤ケ谷廟に葬る。郷人祠を建て稱して猿宮と日ふ) -安麻呂-安比古-安隆-安忠-安俊-安英-安信-安正-安照-安直-安澄(實は安直の弟也)-安興-安成-安政-安董-安基(實は安董の弟也)-安元-安國(實は安元の弟也。安兼幼稚·家を嗣ぐ)-安兼(安元の子なり)-安嗣-安憲-安孝-安尹-安則-安親-安尙(實は安親の弟也)-安延-安規-安久-安幸-安詮-安滓-安〓(實は安淳の第也)-安弘-安純-安員-安匡-安順-安尊實は同族八左衞門の二男。安順の子、早世により家を嗣ぐ) -安包-安顯-安慶-安時-安道-安明(現今)。始祖猿丸又太夫以降、三十九代安順に至る迄、代々猿丸太夫と號し、安尊より四十六代安明に至る迄、猿丸又左衞門と改稱す、」とぞ。又「猿丸吉左衞門略系譜。元祖猿丸太夫。墓地は莵原郡蘆屋村猿宮境內。年代考ふべからず。但し元祖猿丸太夫より、天正十七年に至る、蓋し數十世、幾百十年、世々猿丸太夫と稱し、猿宮創建以來同宮に奉職す。第一世吉左衞門(天正十七年相續、歷世の通稱猿丸太夫を改め、吉左衞門と稱す)-吉左衞門」以下代々吉左衞門にて現代十一代に至る猿丸太夫の幕、東蘆屋藤ヶ谷に猿宮及び古塔あり。天神の祠と云ふ。又攝津名所圖繪には東蘆屋の四方小川の邊に存す。又猿宮に接し、西南に石窟あり。此の地方に存する古墳中最も完全なるものなり、里人之をも猿丸太夫の慕と稱し、毎年九月十六日に祭典行はる。その他、山城嚴喜郡禪定寺村に猿丸の祠及び寺あり、何れも舊記なし。また加賀金澤を去る事五六町、崎浦村字笠舞に猿丸神社あり、小野道風の筆にて猿丸と書したる扁額を蔵する外、舊記なし。近江田上にも遺蹟あれど、却つて、何れも蘆屋を以て、正しき遺蹟の地とせるが如し。猿丸太夫の事蹟に付ては、攝津志、攝津名所圖繪.兵庫名所記、都名所圖會、元祿年間の寺社帳、明和年間の蘆屋村明細帳、一宮巡拜記.須磨明石記繪卷、皇胤紹運錄、帝王正統錄、扶桑隱逸傳、方丈記、百人一首一夕話、三十六歌仙傳、古今集、前々太平記、和漢三才圖會、延寶年間大石良雄、英一蝶等の手によりて成れる古地圖等に散見すれど、何れも詳ならず(中澤利一郞氏)とぞ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)