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物(7)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

7紀姓後世、信太氏は紀姓と稱す。菅谷系圖に「中納言貞雄-高安庄司惟賴(惟致)-紀八郞貞賴(信太郡を領す、信太庄司) -賴康-賴高-兵衛尉賴房-左衞門尉忠貞-左衞門宗房」と0又益子系圖に「贈從二位大納言紀古佐美卿十五世·常陸國信太郡司紀貞頼云々」など見え、又新編國志に「信太。紀氏なり。其の先、權中納言紀長谷雄に出づ。長谷雄の五世を貞雄と曰ふ。貞雄·中納言に任ず。子の維致、後に依頼と改む、河内の高安庄司たリ、子の貞頓·紀八郞、始めて信太郡の莊司たり、後信太氏と稱す」と。貞頼の子賴康·庄司を襲ぐ。庄司太郞と云ふは此の人ならん。文治四年八田知家に代リて禁理夜行番となる。庄司條を見よ。又子孫は菅谷條に詳か也。當庄は弘安勘文、嘉元田文、共に六百二十丁(本庄四百十丁、加納二百十丁)と載せ、東鑑文治四年條に、八條院御領と見ゆる次いで後字多院御領目錄に本庄を擧げ、文保二年、東寺に御寄附あり、東寺文書に見ゆ。蓋し郡領たりし信太氏が、中央に献じて莊園とし、以つて莊司となりしにて、此の氏恐らく前項と同族なるんでその後、鎌倉大草紙に小田氏の老臣信太氏あり(小田條九六六頁を見よ)。又下つて信田庄司輔範の子伊勢守範宗、木田余城を築く。後に小田氏治·菅谷勝貞をして、範賴を土浦に誘殺せしむ。又氏治の臣に信太鴨之助賴範あり、坂戶城を守る。永祿七年、上杉輝虎に攻められて死す。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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