爪田(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
豐前の豪族にして、氏配下の將也。宇都宮文書、ツメツメ違江の名族にして、穗積氏豐前の豪族にして、宇都宮宇都宮文書、豐前知行御領津は港津の意にて、津守と所の振津國兎原郡住吉郷とある地に奉齋したるにて、其の祭主·荒魂は穴門直の祖·踐立なれど、此れは津守連の祖·田裳見宿禰なること、前の文、及び後世此の社の神主が、此の人の子孫なるによりて、容易に推察するを得べし。此の住吉神社は、仁德朝、今の住吉、卽ち神名式に「住吉坐神社四座(並に明神大、月次、相甞、新甞)」とある宮に遷り給ひ、此の地·津守氏の本居となれり。津守とは、前述の如く津を守るの意にして、此の氏人は、當社に奉仕すると共に、津を守り、又遠く海外に使する者の多きは、皆此處に因を發する也。卽ち欽明紀四年十一月條に「津守連を遣はし、百濟に詔して曰ふ云々、」また五年條に「百濟本記に云ふ、津守連巳麻奴跪、云々」と。次に皇極紀元年條に「津守連大海を以つて高麗に使すべし」と。次に齊明紀五年條に「小錦下坂合部連石布、大仙下津守連吉祥を遣はして、唐國に使せしむ」と。猶ほ寶亀九年十一月紀に「津守宿禰國麻呂」が遣唐使の中に見えたり。此等によりて此の氏は、單に住吉神を奉齋するのみならず、海路の交通をも掌りしを知るべし。是れ海神を奉仕すると共に、海部の一部を率ゐし事と、其の位置·難波に近く住居せしによる。此の氏·天武朝に宿禰姓を賜ふ。されど、そは本宗のみにして、庶流には後まで連姓なるもの診からず。卽ち天平寶字四年十一月十八日の攝津國安宿王家地倉賣買卷に「主政正八位下津守連白麻呂」、また大同類聚方三十七に「甲賀島藥は、攝津國田邊浦津守連通主の家の方也、」また同書四十九に「攝津國田裳浦津守速」など載せ、また政事要略卷八十一に「延喜十一千、四成郡人津守連」など見ゆ。猶ほ延曆八年職判の住吉大社司解狀に「大山下右大辨津守連吉祥、去る大寶二年壬寅八月廿七日壬辰を以つて、本綠記等を定め給ふ云々、」と見えたり。その他、大同類聚方に「都毛里藥、蒐原郡津守連の傳方」とあるは、兎原郡の住吉にありし同族ならん。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)