熊岡(8)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
8赤岩の熊谷氏陸前國本吉郡の豪旅にして赤岩館に住す。卽ぢ封内記に「氣仙沼〓。郡長熊谷氏あり。是れ乃ち熊谷直實の嫡流也。熊谷氏の祖武藏介直季は武州熊谷〓に住し、始めて熊谷と稱す。直實は乃ち直季の玄孫なり。而して其の子小次郞直家、其の子平三直宗、相繼いで桃生、本吉の兩郡内數邑を領し、赤巖城に住す。其の子石見守直鎭、其の子左兵衞尉直光、其の子佐渡守直時、建武三年、葛西陸奥守高〓、千葉周防守行胤と、本郡馬籠邑に戰ふや、直時·行胤を援く。行胤大敗し、直時、及び家族六人戰死す。其の子彈正忠直明、赤巖城を守り、葛四家の大軍と屢々戰ひて屈せず。其の子彈正忠直政、貞治二年其の相敵し能はざるを以つて、遂に葛西家に降り、臣と稱す。其の子備中直行、其の子備中直致、其へ子右衞門信直(葛西持信·一字を授けし也)、其の子右衞門直茂、其の子備中直定、其の子尾張直光、其の子直元(俗稱傳はらず)、其の子圖書直政、其の子淡路直資、其の子掃部直長、相繼ぎて世々葛四家臣たり。天正十八年、葛西家·太閤秀吉公に其の地を沒收せらるゝの後、處士と爲寓生鳩三番五番熊谷淺井郡山王十禪師社(四村の内石田)は熊谷氏の氏神、長祿年中の鐘あり(所在私考と0 6武藏の熊谷氏發祥地に殘リし熊谷氏にして、北條系圖に「直實-直家-直重(又次郞、武州熊谷〓に住す)-直忠大大耶、左衛門尉)-忠重(又次郞)-直露(又次郞、備中守、法名生觀。元弘三年源尊己五 り、津谷邑に住し、子孫今に至る」と載せ、又觀蹟聞老志に一赤岩館は熊谷小次郞直家の仲子·平藏直宗なる者の古壘也。直宗の墳、新城村資鏡寺に在り。直宗の建つる所也、(康應中、黑石正法寺二祖附第、虎溪良孔和尙·之を中興し、曹洞宗と爲す)、其の墳石に題して曰はく、『熊谷平三直宗の墓、貞應二年七月六日、之を立つ』云々」と見えたり。又氣仙風土草に「江刺郡黑石正法寺二世の住持月泉和尙、俗姓熊谷氏、氣仙濱階上の產也云々」とあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)