烟田
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
また鎌田、蒲田等に作る。前二條參照。常陸國鹿島郡烟田邑より起りし氏にして、桓武平氏大掾族鹿島氏の族なり、鎌田條第二十項參照。この地は弘安作田勘文に北條德宿〓五十四町八段、同〓神谷戶五十九町」と。神谷戶は今神宿に作る。又烟田文書天福二年の講狀に「德宿〓の內烟田、富田、大和田、生江澤」とa又實治元年鎌倉下文に「德宿〓の內烟田、鳥栖、富田、大和田、」觀應、應永、永享、寛正等の文書同じ(地理志料)。而して、此の氏の出自は鹿島大宮司系圖に「明幹(鹿島氏祖)-幹憲(烟田四郞)」と載せ、烟田系圖に「鹿島成幹-親幹(德宿氏) -德宿秀幹烟田三郞)-幹秀-綱幹-義幹-景幹-幹宗-時幹-重幹-幹嵐-幹時-憲時-保幹-茂幹-政幹-安幹-泰幹-忠幹-通幹(天正十九年二月九日、佐竹義宣のために誘殺せらる)」と。代々烟田城に據る、邑內に阿州陀堂あり。烟田文書、正應二年又太郞狀に「德宿内〓烟田村阿彌陀堂は烟田三郞助吉入道建立の寺にして、祖父朝秀の時より云々。三郞入道蓮心の祖父助吉建立の寺たるにより、自今以後、彼の寺の別常職は蓮心の子々孫々相次ぎ相傳すべき也」と。新編國史補遺に「德宿秀幹の二子秀幹(一名朝秀)は烟田三郞と稱す。文層二年、烟田、富田、大和田、生江澤、四村の地頭たリ。其の子綱幹·實治元年地頭職を襲ぐ(烟田文書)。子義幹あり、又太郎と稱す。子の最幹·德宿太郎と稱す(文書、系圖)。子幹宗·彥太郞と稱し、又左近將監と云ふ。建武二年、その子の遠江守時幹(又太郞)と共に、足利尊氏に屬す。正平七年、時幹·大撤淨永に從つて戰ふ。其の子重幹、刑部大輔。重幹は大掾淨永と御あり。弘和元年、梶原貞景、島栖村を籍沒の地と稱し、鎌倉に請ひて、其の地頭たらんとす。有司·之を眞壁〓幹等に下す。顯幹等は淨永に黨し、證して以つて信とす。有司·乃ち鳥栖を收めて貞宗に付く。重幹·寃を訴へ、久くして舊に復するを得たり、」と。又「烟田城址、高五丈許、東西三町許、南北二町餘あり。氷川の地南端にあり、方五十間許リ、土壘空濠を囘らす、子孫之を襲ぐ。通幹に至りて、天正十九年二月、佐竹義宣の爲に、太田城に誘殺せられ、城廢す、」と。釜田條を參照せよ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)