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濡髮

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

潘髪長五郞は上野沼田藩士岩村長右衞門の子也。名を改め都倉與惣兵衞と稱す。奴留湯主水·その城職業部の一也。ハツカシ條第八項漆部造の宿禰ヌリへヌルユ-ヌレカミ四五七三 ネネイ-ネイチネオ四五七六ネ根尾ネヲ美濃國本巢郡の根尾邑より起30南朝の忠臣を出せし氏にて、太平記卷二十一、先帝扇去條に「官軍を數ふるに、美濃に根尾入道、尾張に熱田大宮司」층根尾神所山城(根尾村)は、延元中根尾右京亮の據りて南朝に隷せし地にして、同三年九月、脇屋義助も亦來りて之に據る。後土岐賴遠の陷る所となり、右京亮は戰死し、義助は伊勢に走る。新撰志神所村古城跡條に「太平記に、脇屋刑部卿義助·九月、美濃の根尾の城に立読しかども、土岐彈正少粥賴遠、刑部大輔頼康に貴落され、熱田の大宮司が城·尾張國波津が崎へ落ち、伊勢、伊賀を經て、吉野殿へ參ゐられけると見ゆ。此の根尾城は是れ也。また根尾右京亮·神所の寺谷に住し、其の嫡子島右京も當村に住みし後、大井に移り、又飛驒の高山に落行く。二男林出羽(島右京が第也)も當村中屋敷に住し、後德山に移る」と見ゆ。此の根尾氏は、外山、德の山等と共に〓和源氏土岐氏の族と云ふ。外山、土岐條を見よ。又戰國の頃、根尾板戶城(根尾村)に根尾和泉守と云ふ者あり、神所寺谷の住人根尾右京亮の四男にて、信長時代·住し、永錄中戰死すとぞ。一柳條を參照せよ。ねネネエネキネシネチネニネヒネミネヤネル四五七六ネア(ネヱ)口半干ネク四人3ネス國民人(ネツネ

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

系図・系譜

関連論文

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