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澤水(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2烏山郡須氏の祖·資重も、澤村五郞と解せり。下野國志に「刑部大輔資氏の二男責重は澤村五郞と稱す。永享の亂以來、サハマタ-サハムラ二三五佐婆部氏は官職秘抄等に見ゆ。サハハラ-サハヘサハヘ-サハマタ サハムラサハムラサハムラ-サハラニューロ兄資之と不和」と見ゆ。數々戰ふて利あらず、應水二十年八月二日城を捨て、後に島山に築城す。烏山城は烏山町にあり。始め延曆年間、坂上田村屬東征の時、之に壘を築くと傳へらる。城廓は應永二十四五、澤村五郞資重の築く所也。その後、應永二十五年正月廿五日、兩者和睦して、那須を上下に分ち、澤村氏は下の庄を領し、其の子越後守責持、その子伊藤守實實を經て、四代修理大夫資房に至り、上下庄を併す。資晴に至り豐臣秀吉に領地を沒收せられ、其の後、織田信雄、成田下總守氏國、松下石見守重綱、板倉內膳正重矩等を經、元和元年、那須資祇復た此の地を領す。賣祇は宗隆より、二十一代の裔孫なり。封を茲に得しが、奥一資德に子なく、貞亨四年除封さる。ナス條、及びカラスヤマ條參照。又那須系圖に「氏資の女·澤村越後守藤原賣持の室、資實の母」とあり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

関連論文

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