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淀屋

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

伏見銀座頭役に淀屋次郞右茶道をよくし、衛門(家康時代)、个庵、また浪華の人淀屋言當は或は古庵と號す。又一に四谷太郞、四谷三郞等を載せ、この地の事は、新編江戶志に「四谷。四ヶ所の谷あるゆへに四谷といふ。千日谷四谷(青山に近し)、谷のうち)、若荷谷大上谷(大久保なり)、(高井戶邊、千駄四谷よりは凡そ一里半餘も隔たり)。四谷名主勸四郞に尋ぬるに、『往古はたゞ、武蔵野に續きたる曠野にて、させる家居もなLoわづかに家四つあり、梅屋、木屋(今久保屋といふ)、茶屋、布屋の四軒有り。甲州往來の族人のやすみ所なり。然るに御當地·日々御繁昌に付、錐を立るの地もなき樣になりぬる故に、四ツ家名さへ今はうせて、四谷と書きかへぬ』と。往古此の邊は、千駄ヶ谷に屬す、北條家舊記に四谷は見えず、千駄ケ谷の地名は見ゆ」と又御府內備考に「四ツ谷は事蹟合考に『往古は今の尾陽公の表門の邊に民家一軒、坂町の上の方に一軒、その外の所はさだかならざれど、二軒ありしより、鳴子高井戶の方より四谷と稱して、往來のやすらひ所としたり』といひ傳ふ。江戶砂子等になりと書きしは、『昔四ヶ所の谷ありしより起りし地名全く文字につきての說にして、取るべきものにあらざれば、省きて載せず』」증2雜載その他、日向延岡藩儒に四谷行に亘る。蔵恒之あり、又尾張、穆峰と號す。吉備、豐前等に存す。幕末より明治猶ほ以下各條參照。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

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