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浴部(5)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

5駿河ユヒ條及び第二項參照。又興津の人に由井源藏あり、鎌倉武士の裔也と。又由井正雪は駿河由井染家傳三郞(一に彌左衞門)わあ、幼名久米なりと傳ふ。駿府留帳抄に「由井正雪は、元來駿府素性の者、幼少の時、臨濟寺に之れ有リ、讀物など仕り、其の後、江戶へ罷出で、七書など講釋仕り、太平記の評判讀とな7.自分にも平家物語評判などを作り、軍學の弟子を數多取り候うて、方々名を發したる由に候。兩親共に駿府の宮崎に罷り在リ候。慶安四年八月、一類殘らず、駿河に於いて御成敗、兩親もはり付にかゝり、正雪の首も亦、江戶より返し候うて、阿部川西河原に隨從自害の者どもと、一同八人·獄門にかゝり申し候。正雪は當年四十二歲のよし。かくの如く、事終リて以後、正雪自害の宿所·駿府茶風町梅屋九郞右衞門の悴を呼び寄せ、꿈補の時の樣子を承り候へば、御同勢にて梅屋所を取卷き、夥しく表騷動の節、正雪·國從の若き者共は、是非切つて出づべしと、色々申し候へども、正雪かくて召捕はれ候はば、拷門に逢ひ、見苦しき死を仕るべく候。唯々一所にて尋常に切腹に極り僕と申す。少しも騷がず、かたひざ立て、屬を手に持ち居り、書置と見え認め終り。其の儘、切腹仕リ候。殘りの者共もおもひ〓〓に自害」(地名辭書)云々と。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

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