津矢佐宇
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
伊勢國安東專當沙汰文に「丁部津矢佐字垣内(掃部允)」を載せたり。ツヤマ-ツユツユ-ツユキ三八三〇左衞門と呼ぶ。每年梅雨の時、泉水湧き出づる故に、世人さみだれをついりといへりと。按ずるに豐成には、男子三人、女子一人にして、是れ當麻善心比丘尼なり。此の外·女子はなし。南家系圖を考へみるべし。俗傳里說かるゝ事多し」とaまた傳へ云ふ「物部氏、伊賀我色命の裔にして、矢田部遺と云ふ。その四十代某·天武朝に連の姓を賜ふ。其の裔矢田部郡司の長子山田佐衞門佐眞次、左衞門尉眞勝を生む。其の子佐衞門佐眞利也。其の母白瀧姫が廟·後辨財天祠前の小池を梅雨井と云ひ、平常水なけれども、栗花落つるの候には、水湧き出づるにより、氏を粟花落と改めしと傳へたり。家紋は帝より賜ふ所の實劔·御紋桐葉を以てせりと云ふ。左衞門尉日眞に至り、長德元年五月、八幡宮を京師より勸請して、山田庄の守護神とす。日義·山田庄四至の廳の頭職たり。眞速の時、鳥羽院行幸し給ふと云ふ。應永六年四月五日、時の領守眞述·足利義滿より丹生山田庄六條八幡の社地を賜はる。眞次四十代を利左衞門眞政と云ふ」とまた江戶落語の祖に露の五郞兵衞あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)