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河原椋人

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

職業部の一にして、河内國丹比郡河原邑にありし倉庫に使役せし部民也。神亀二年七月紀に「河林莊あり、上瓦林、下瓦林、御代、荒木、下新田の諸邑を云ふ。此の氏は此の地よリ起りしにて、又瓦林に作る。菅原姓にして、武家系圖に「河原林、菅原、右大臣道眞男、右馬助良行稱之、紋蔓柏、瓦樣共」と見ゆれど詳かならず。一に藤原氏とも云ふ。されど、南北朝頃より有力なりし氏にして、太平記卷八に河原林二郞、また三十八に「守護代箕浦次郎左衞門、伊丹大和守、河原林彈正左衞門、芥河右馬九、中白一択、三百餘騎は神崎橋爪へ打ち臨む」と下りて細川兩家記に、河原林日向守、河原林對馬守正賴等を載せたり。攝津五林城(瓦林村上瓦林八幡神社境内)は、此の氏代々の居城にして、對馬守政賴·康安年中、始めて此の城に據り、元亀年中廢すと云ふ。又同國蒐原郡鷲尾城(蘆屋村北方高尾山)も瓦林政賴が細川高國に屬して、源于十し地にして、永正八年八月十日、澄元方に攻められ陷落す。兩家記に「高國方の兵、河原林對島守正賴は攝州蘆屋庄の上鷹尾城に楯籠」とあるもの之なり。又豐鳥郡西市場城(同村西市場)は觀應年間瓦前

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

関連論文

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