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殿上(9)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

9但馬考等云ふ、赤松廣通天正年間竹田城主となる。又養父郡八鹿村内の大森と云處に赤松左兵衛廣秀の墓あり、其碑文に「竹田城主赤松左兵衛尉廣秀、慶長五年甲申十月廿八日卒、行年三十三歲」とあり、惺窩文集には諱を廣通とす。廣秀は因幡にて終りしも仁政多かりしにより此處に墓をつくると。10阿波國御衣御殿人子細事、正慶元年十一月文書に赤松藤三郎大夫、元弘三年十一月文書に赤松右滿尤見ゆ、(徵古雜抄)阿波忌部の裔かと。11三河渥美郡伊川津七黨に赤松氏あり。12常總の赤松氏永正十三年赤松民部·多賀谷氏の命にて和賀十郞を殺す。水府志料附錐、菅各先祖は赤松從三位、赤松但馬守など云ふ、此の族ならん。常陸新志補手古丸城は天正中小田氏の臣赤松則實入道凝淵齋これに據ると、関東古戰錐に木田余の赤松凝潤見えたり。13波岡城主北畠顯義の家臣に赤松隼人あリ。14藥城國田村郡に赤松顯則あり、明德年間常葉の朝日館に據る。15奥平氏先祖に關する傳說に赤松氏あリ。安藝の赤松則〓·治承中來りて鎌倉に仕へ、其の子則景·兒玉の族莊忠行の後を繼ぎ、氏行と改む、上州に移り奧平氏と稱すと。オクダヒラ條を見よ。16應永正長の頃赤松義祐豊前國京都郡にあり

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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