殿
概要
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姓氏家系大辞典
主殿氏の奇か。又飛26出雲の舍人臣出雲臣の族なり。天平十一年の出雲國服給歷名帳に「河內郡伊美里舍人臣稻女」など見えたり。27 (倉)舍人君これも出雲に存す。出雲臣の族歟。タラトネリ條を見よ。28無戶の舍人氏舍人部伴造の族、若くは裔、或は甞つて舍人たりし者の後裔の稱せし氏也。29河內の舍人氏姓氏錄、未定雜姓に「舍人。百濟國の人·利加志貴王の後といへど見えず」と載せたり。30越前の舍人氏天平神護二年の國司解に「伊濃〓戶主舍人益人」など見ゆ。31伯書の舍人氏和名抄、河村郡に舍人郷を收む。32出雲の舍人氏天平十一年の賑給歷名帳に「舎人中麻呂」等五名を載せたり。和名抄、當國能義郡に舍代〓を收む、高山寺本·舍人に作るをよしとす。クラトネリ條參照33周防の會人氏玖珂綿延喜八年戶籍に「舍人畠賣」外一名を載す。34武藏の舍人氏足立郡に在り。新編風土記に「舎人町屋敷跡、昔舍人土佐守と云ふ人住せし所なり。いつの頃の人と云ふことを傳へず。按ずるに、紀伊國高野山の過去帳に『土佐守。永祿十一年五月廿六日卒』と記し、『舍人孫四郞·月牌料を寄附せし』よし載せたり。是れ當所に住せし人にて、孫四郡と云ふは、土佐守が子にてもありしにや。さあるときは、土佐守は岩槻の家人なるべし。今此の地に又兵衞とて、かすかなる農夫住めり。舍人を氏として、彼の土佐守が子孫なりといへど、詳なることを傳へず。又尾張家人に舍人九十九とて、祿千石を領する人あり。是れもかの子孫の由、此の地へ來りしことありと云ふ。此の所東の隅に天神社あり、昔屋敷の鎭守なりと云ひ傳ふと見ゆ。35雜載壬申の功臣に舍人標蟲、萬葉歌人に舍人娘子(大寶)等多く、又下りて台記、仁平三年七月十四日、去々年·厩舍人長時延貞·使と爲りて奥州に下向す」と。又東鑑卷二に舍人金石丸、九に舍人平五、舍人新藤次等見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)