正訓
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
なりと。康正造内種引付に「二百丈、神谷四郞殿、伊勢國朝明郡内太子堂段錢」と。次いで永享以來御番帳に「番神谷四郞、」文安年中御番帳に「一番神谷四郞」常德院江州動座着到に「一番神谷左近將監、」見聞請家紋に、カメガイ神谷10加賀の神谷氏三州志、石川郡條に「信濃畑(在戶板〓藥師堂村領)、神谷信濃住めりと云ふ。來由考ふべからず」と11〓和源氏賴光流若狭發祥の名族にして、家傳に「源三位賴政の六男仲忠の後、神谷庄に住せしより神谷を稱す」と云ふ。寛政系譜支庶二を載す。家紋むかひ蝶の內十六葉菊。12播磨の神谷氏神谷邑より起り神谷城に據る。戰國時代神谷民部あり。13紀伊の神谷氏伊都郡に神谷の地名あリ。而して續風土記、西畑村舊家谷補右衞門條に「其の祖を神谷土佐入道といふ。南朝に屬し、學文路村藥師山に居住して、相賀莊の地頭職たり。地頭職補任の綸旨、延元二年·南帝よリ賜ふ。寶曆三年、右の綸旨を高野山興山寺に納む。義貞朝臣よリの感狀も家に傳へしに、燒失して、今其の寫を傳ふ」と。南朝の忠臣たりしなり。又山東庄の庄司を神谷荘司と云ふ、其の裔に神谷左近大夫といふあり、平尾條參照14讃岐の神谷氏北條郡高屋の豪族に神谷兵庫忠資あり、乃生村を領し、乃生氏と稱す(全讃史)。乃生條參照。15筑前の神谷氏天正中、博多の富豪に神谷貞〓(紙屋宗旦とも)あり。博多と唐津との二處より、朝鮮、明國、井に南蠻の各地に往來して、貨殖したりと云ひ、檀實の利、金鑛、織布の業、量衡の制等、商工の道に於いて後世を益する者多く、神谷の計畫に成ると云ふ。其の繊機の事は、承天寺祖聖一圖師の從士滿田彌三右衞門·宋國にて、之を習得し、朱燒、箔燒、索麺などと共に傳來したりとも曰ふ。(地名辭書)。石州銀山紀聞に「博多の神谷壽貞云々」と。16雜載神谷氏は德川時代、船城平安藤藩中老格、高遠內藤藩用人、亀田高城藩重臣、母里松平藩重臣、神戶木多藩用人、宮津松平藩用人、松江松平藩重臣たり。又秀康卿給帳に「百五十石神谷種手治、」加賀藩給帳に一千五百石六角内抱謀〓寄 カミやカミヤカ-カミヤスカミヤツ-カミヤマ一七五八合組、神谷治部、」其の他、信濃、志摩等にもあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)