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正親町

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

正親町は正親司のあ地名を負ひし也。りしより起リし地名にして、此の氏は其の1正親町宮光嚴帝裔なり。紹運錄に「光嚴院-正親町宮(義仁、三品、秦等一流正統、住梅尾、母〓安門院、一條後對御方、公隆癇女)」と見ゆ。次の正親町家公隆の女(分脈に等相續、光量院妾、若宮母、義仁江親王是也、)の御腹なれば、その家に住み、其の稱號を用ひ給ひしものならん。z正親町家藤原北家閑院流、四圓寺家より分る。尊卑分脈に「西園寺通季五世孫公守(太政大臣)-實明(權大納言、號正親町) -公隆(權大納言)-忠季(同上)-實網(權中)-公仲(實は忠季弟實文子)-實季(權大)-持季(權大)-公兼(權大)-實胤(權大)-公叙(權大)-實彥」と見ゆ。猶ほ公兼の兄に公澄(權大、右衞門督)、その子に實澄(右中將)あり。公叙の後は「季秀-季俊-實豊-公通-實通-公明-實光-實德-公董-實正、」にして、德川時代、舊家、家領三百五十二石、庸小路新道、寺眞如堂玉藏院、內々、家業事。現今伯爵。(實明、また家號を裏ともいへリ)。家紋三藤丸親正法被町御印廉正遺内裏段錢引付に「十貫文、正親町宰相中將家、江州坂田郡内祇園保。段錢」と0實豐の子公通(風水軒、白玉翁、須守靈社は山崎闇齋の門に學び、垂加神道を傳へ、無窮記、神道傳授等の著あり。此因幡の豪族にして高草大喜多安長あり(

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図・系譜

関連論文

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