椋椅部(9)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9加賀の椋橋部和名抄、當國石川郡に椋部〓を收め、久良波之と註す。地名を二字にせん爲に橋字を省きしなり。10丹後の椋橋部高山寺本和名抄に、加佐郡椋橋〓見ゆと云ふ。流布本には高橋郷に作る。後世倉橋村あれば、前者の方よし。又神名式、美含郡に椋橋神社を裁せ、氏人は東大寺奴婢帳、天平勝寶元年十二月十九日丹後國司解に「加佐郡戶主外正八位上椋橋部乙理」と云ふ人見ゆ。又中世倉橋莊あり、朽木文書に見ゆ。11周防の棕椅部延喜の攻珂〓戶籍に、「椋椅部麥丸」なる者を載す。12安藝の倉橋部當國に倉橋島まり、此の部のありし地ならん。又後世倉橋氏存す、タラハシ條第七項を見よ。13椋椅部連物部氏の族にして、椋橋部の總領的伴遺たりしかと考へらる。姓氏錄未定雜姓、攝津の部に「椋椅部連、伊香我色乎命の後也」と見ゆ。第三項、及び倉橋條第四項參照。14椋椅部首和泉國椋椅部の部分的伴造か吉備氏の族と稱し、姓氏錄、未定雜姓、和泉の部に「椋精部首、吉備津彥五十狹芹命の後也」と見ゆ。或は思ふ、北陸の椋精部を率ゐしか。第八項、及びツルガ條參照。15倉橋部直倉橋部の伴造なるか。其へ所貫未詳なれど、承和十五年四月紀に「
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)