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條等(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

- コホリヤ正十五六の二年なれども、太郞左衞門は聞ゆる剛勇の士にて、兩度の戰に後れを取らず、十七年の夏に及んで、敵勞退散、郡山無事なるに至れり。此の事·諸書にのせて明らかなり。奥相茶話に「天文十二年田村隆顯、郡山の城主伊東但馬を追下したる事」あり。此の但馬も嫡流なるならん。また天正の頃、郡山大内藏少輔あり、太郞左衞門が姪弟の類にや。又舊事考に「伊東氏の始祖·大和國郡山を領す。文治五五、藤原泰衡亡びて、伊藤氏に安積郡をたまはる故、本國の〓名を取りて郡山と號す」と云ふ。按ずるに、工藤祐經の嫡子犬屏丸、後に大和守祐時と名乘る。又太平記に、安積伊東は大和前司と有り、實に伊藤氏、初め大和郡山をも領せしならん。然らば伊藤祐長·稻荷館に移りて、此の地を郡山と稱し、氏にも稱せしならん(相生集、地名辭書)と。大和の郡山云々は附會に過ぎず。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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