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桝屋

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

伊勢、志摩等に此の氏存雲門と號す。そ振津、武蔵に存その他、山城、武石見、出雲、攝津、武藏志摩等に此の氏存第なり。初め和家人に召されて、條米千俵を賜ひ、後に倍して二千俵と成り、相摸國にして所領の地を賜ひ、御奏者の事を奉り、一萬石を領す。萬治二年、三河國四尾の城を賜ひ二萬石、寛文二年七月二十八日卒す、年四十歲、一說に四十五歲子なかりしかば、弟那須遠江守資國(左京大夫資廉が養子となる)男をもつて嗣とし、兵部少輔利順と申す。寛文三年常陸の國下館の城に移る、二萬三千石」。又頭註に「七澤〓宗は下野島內村の人、寶樹院殿·名は樂、父を靑木三太郞利長と云ひ、死後其の母再び作左衞門に嫁す。父母と共に淺草の里に住す。春日局·おらくの容色あるを以つて、之を家光公に進め、家綱公を生む。其の姉は品川式部大輔の妻となり、第は卽ち正利、其の次は那類賣國と見ゆ。又お樂の局は「都賀郡高島村の人、父は青木三太郞利長、母は島田村增田織部の女紫也。お樂·寵幸せらるゝや、母紫も増山殿と呼ばれ、一門皆權貴に列せらる」と。又增山家記、增山氏系圓略に「性參雄は丹墀、氏は青木、下野人) -女子〓川式部大輔の室、母は仙光院殿、增山氏の女)、妹(家綱公の御母、母同)、第正利(始めて氏を增山と改む。彈正少弼、從五位下、三州四尾城主。母同)、弟資祇(始めは增山右衞門佐と號し、後那須の養子となり、那須遠江守と號す、母同)」と。次に正利の男「正低(兵部少輔、從五位下、常州下館の城主、實は那須遠江守の長子、正利養子とす。母は平岩氏の女)、妹に津輕越中守室、母は松平和泉守女。其の妹は早世、母同、其の弟早世、母同」とo次に「仙光院殿(後に七澤〓宗に嫁し、二子を生む)-女子(毛利刑部少輔室)、弟長政(平野權平養子、丹波守、從五位下)」と。次に增山家記に「一、增山家、本の氏は青木なり。故に其の姓は丹塀、一に多治比、又丹治にも作る也(以下タヂヒ條を見よ)。性參·本國生國共に下野國都賀郡高島村なり。其の屋數は青木源兵衞と云ふ者の所持に成り之れ有り。後陽成院文祿四年(乙未)誕生、增山氏の女仙光院殿)を娶り、子四人を生めり。寛永四年丁卯六月八日に逝す、年三十三、則桝屋マスヤ武蔵に此の氏あり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

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