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桑田(7)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

7羽前の桑嶋氏置賜郡の豪族にして、畔藤村熊野権現宮棟札に「永祿四辛西年、當村檢帶、桑島三郞左衞門時興云々」と又下「桑島、藤、四郞地に存し、請田明神と稱す)」を載せたり。卽ち丹波國第一の舊地にして、神名式·また本郡に三縣神社を收む、三縣は御縣に外ならず、且つ隣郡船井郡は平安朝に至りて、その名の初めて見ゆるを思へば、後に當郡より分置せしものなるべし。此等より推測するに、桑田船井の地は、古代桑田縣と云ひし地にして、保津川流域を中心として開けしものと考へらる。而して古事記、開化天皇段に見ゆる政賀耳之御笠なる大曾長も、要するに此の地の土曾と考へらる、クカ、コガ條參照。又郡内に名神大社の出雲神社あり、早く出雲勢力の浸潤せしを思はしむ。其の後、日子坐王、丹波道主命、父子の征討あり、次いで仲哀天皇の御裔·此の地に御座せり、繼體天皇卽位前紀に「八年冬十二月己亥、小泊瀬(武烈)天皇扇じ給ふ。元より男女なく、繼嗣絕ゆてん壬子に、大伴金村大連·議して曰く方今絕えて繼嗣なし、天下何所にか心を繫けむ。古より今に及ぶまで、禍は斯に起る。今足仲彥(仲哀)天皇の五世孫·倭彥王、丹波國桑田郡に在ます。請ふ試に兵仗を設け、乘興を夾み衞りて、就きて迎へ奉り、立てゝ人主と爲さむと。大臣大連等·一に皆隨一七期迎へ奉る·計の如くす。是に倭彥王·遙に迎の兵を望み給ひ、懼然として色を失ひ、仍りて山整に通れ給ひて、詣リ給ふ所を知らず」とある、之也。クマタ條參照。其の他、豐前國築城郡にも桑田〓あり、猶ほ他にも此の地名あらん。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:24頁

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第二:60頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第2:58頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):292頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[186]:24頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)下巻神別,外別:92頁

系図・系譜

関連論文

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