桐原(5)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
5安藝の桐原氏武田信賢の家臣にして嘉吉の變、赤松左馬助を討取る。その後、安西軍策にも此の氏見ゆ。桐生上野國山田郡桐生邑(町)より起る。の地は源平盛衰記に切字に作リ、平家物語には、切生、曾我物語には桐生と見ゆ。最初の桐生氏は平家物語に桐生六郞、東鑑卷二、養和元年閏二月廿五日條に「足利又太郞忠綱は義廣に同意すと雖も、野木宮の戰に敗北せし後、先非を悔ひ後勘を恥ぢ、潜かに上野國山上〓龍奥に籠り、郞從桐生六郞の許に招かれ、數日警居す。遂に桐生の諫に隨ひ、山陰道を經て、西海方に赴く云々。是れ末代無雙の勇士なり、」と載せ、又九月十三日條に「丙戌、和田次郞義茂の飛脚、下野國より參り、申して云ふ、義茂·未だ到らざる以前、俊綱專一の者桐生六郞、隱忠を顯はす爲、主人を斬りて深山に籠る。搜求の處、御使の由を聞き、始めて陣内に入り來る。但し彼の首に於いては、持參すべしと稱し、出し渡さず。何樣に計ふべき沙汰哉云々。仰せて云ふ、早く其の首を持參すべきの旨下知せしむべしと。使者·則ち馳せ歸る云々。十六日己丑、桐生六郞·俊綱の首を持參す云々。十八日、辛卯、桐生六郞·梶原平三に申して云ふ、此の賞によリ御家人に列せらるべし云々と。而れども譜第の主人を誅す、造意の企·尤不當也。一旦と雖も賞翫するに足らず、早く誅すべきの由仰らる」と見ゆ。六郞·名を爲顯と云ふ。これにより此の流衰へ、次の流興るか。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第二:174頁、252頁、257頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第2:172頁、250頁、255頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):406頁、484頁、489頁