柏谷(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
伊豫河野氏の一族にして、越智系圖に「河野六郞通有-通茂(九郞、母通久女也、柏各殿と申す也)」と見え、又像章記に「通有次男通茂(九郞、母通久女)、柏谷に居住して柏谷殿と云ふ」とあり。伊豫の地名を負ひしや明かならん。膳カシハデカノ、また膳夫に作る。食事を掌りしを氏の名に負ひしなり、詳細此の氏あ日向記に柏田奥八と云ふ此の氏カシハキ-カシハクカシハサカシハサ-カシハテ一四六一、 無邪志國造の上祖·大多毛比、知々夫國造の上祖·天上腹天下腹人等を喚びに遺はして、膾と爲し、及び煮燒き雜造り盛りて、云々。乗興·御稿よリ還御入り坐す時、供へ奉る。此の時勅し給はく、誰か造りて進むる所の物ぞと間ひ給ふ。側の時、大后奏さく、此は、磐鹿六萬命が獻る所の物也と。卽ち歡び給ひ、譽め賜ひて勅し給はく、此は磐鹿六猫命獨が心には非じ奏〇斯れ天に坐す神の行ひ賜へる物也。大倭國は、行ふ事を以つて、名に負ふ國なり。磐鹿六瘍命は朕が王子等に阿禮、子孫の八十連屬に、遠く長く天皇が天津御食を齋ひ忌み取リ持ちて仕へ奉れと負ひ賜ひて、則ち若湯坐連等の始祖、物部意富賣布連の佩ける大刀を脫ぎ置かしめて副へ賜ひき。又此の行事は大伴立て雙べて、應に仕へ奉るべき物と在れと勅して、日竪日橫、陰面背面の諸國人を割き移りて、大伴部と號けて、磐鹿六塲命に賜ひき。又諸の氏人、東方諸國造十二氏の枕子を、各々一人づゝ進めしめ、平次比例給ひて依さし賜ひき、云々。此の時、上總國安房大神を御食都神と坐せ奉りて、若湯坐連等の一四五三は膳部條を見よ。上古の大族なり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)