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柏山(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2桓武平氏陸中臟澤の大族にして、膽澤郡柏山より起リ、柏山城(一に大林城)に據る。此の地(永澤邑)に駒形神社の里宮あり、封內記に「天文元年、柏山伊勢守再興。本郡西根邑駒形神社の末社也。觀音堂、大永五年、柏山伊勢守再興」と。又古壘あり、同記に「大林城と號す。傳へて曰ふ、柏山伊勢守の居る所なり」と。柏山氏は鎌倉以來の舊族にして、一時勢力ありしが、天正十八年、柏山中務明家、葛西氏と事を共にせしにより其の領土を失ひ、子孫南部氏に仕ふ。奥南盛風記に「柏山は、膽澤郡上伊澤三十三〓、下伊澤二十四〓を領す。元祖は大相國〓盛の孫にして、平家沒落の時、乳母に具せられて、羽州秋田に下リ忍び居る。文治五年、泰衡減亡後、奥州の撿斷那次川左衞門·下向して奉行する時、(那次川撿斷とは葛四氏ならん)、乳母出羽より來り、那次川を賴む。那次川·平家の舊恩ある故、是·を留主葛西壹岐守〓重に相談して、鎌倉殿賴朝公に達し、伊澤郡を賜はる。彼の乳母·効兒を相具して、伊澤西根の山伏と見ゆる樫本と同じ河内の名族にして、後の家に宿り那次川か下向を待ち請けて、同郡大林に取立て居城し、柏山殿と申す。彼の山伏やしき·柏山と云ひ、出世の吉事なればとて、氏を柏山と云ひ、幕の紋を石たゝみ、旗の紋を三柏とす。古の郞從·聽參じ、筑柴の三田、美濃の大内、近江の蜂屋など、皆大林に來り仕ふ。天正CB、柏山殿に中務以下兄弟四人あり。弟伊豫は下伊澤を領し、中務は上伊澤を領す。次は小山九郞、兵法の達人也。次は宮內とて、析居の城主也。中務の子を千鶴丸と云ふ、成人して伊勢と云ふ。家人三田は下伊澤の内、前澤の城に居る。大内は上伊澤水澤の城に居る」と見ゆ。出自の傳說は信じ難きや勿論なるも、兎に角、鎌倉以來の名族たるなり。或は、かく平姓と稱し、且つ三柏を家敏とするよリ葛西氏の族かと云ひ、又中尊寺文書に「正應元年、中尊毛越兩寺住侶等、葛四三郞左衞門尉宗〓、伊豆太郞左衞門尉時員、葛四彦五郞親時等と、相論云々」とある伊豆氏これかと云ふ。明應八年十二月十三日の薄衣美濃入道經蓮狀に「柏山伊豫守重朝·又之に就き、金成黑澤と共に野心を挾み、富澤河内守を殺害す云々。柏山伊豫守、奬噌の勇あり、養由の射を能くし、以つて其の大衆を事ゆと雖、我が兵·南北より之を夾み攻め、切齒傾首、火焰を出し、以つて戰はゞ、轍く本意を成さん矣。而して上下伊澤は言ふに及ばず、黄一揆中に至りても、亦之を破るや易し矣」とその後、伊達世次考に「種宗公、永正十八年五月朔日、書を柏山伊豫守に贈る云々。今按ずるに、柏山伊豫守は薄衣狀に所謂る重朝か、或は亦其の子也。膽澤郡永澤邑大森城主、而して葛西旗下なリ」と又「天文十二年云々、柏山伊勢は蓋し伊豫重朝の子也」と見ゆ。江刺氏家諸に「治部隆重の女、柏山伊勢の妻」と。その後、天正中の中務は奧羽永慶軍記に柏山中務少輔明家と載せたり。生城寺柏山氏の石碑には月星の紋章を刻すとぞ。配下の將に、前澤、水澤、中畑、桃岡、小山等あり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[106]:99頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[194]:76頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[279]:107頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[300]:18頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[315]:10頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[330]:5頁、7頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[336]:115頁、116頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[69]:20頁

系図・系譜

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