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東(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

四七一一 ハダハハタBull國乳部の民を以つて戰へば、入鹿を破るが出來ると云つた深草屯倉は、此の秦氏の一根據地で、以つて秦氏の勢力の大であつた事が想像出來るのである。以上は上古の事だが、中古には惟宗氏あり、代々明法博士として其の名高く、鎌倉以後には、四海の重鎭島津氏、また宗氏あリ、共に天下の治亂興廢に關係なく、よく七百年間、雄藩たる地位を保つたが、殊に維新の大業に當つて島津氏の貢献の大なるは、余輩の蛇足を俟たないであらう。外交方面上古にありては、此の氏族の一部なる己知部が、奈良曰佐、山村曰佐、相樂郡の曰佐、野州郡の曰佐となりて、漢土、韓國との譯語通事を掌り、又近古以來、宗氏は朝鮮との、島津氏は琉球との外交を掌つて居る。一體室町以來、外交の衝に當つた氏は、大内氏にしろ、宗氏にしろ、島津氏にしろ、皆歸化族であると云ふ事は偶然ではあらうが、不思議な感を與へる。神祇方面稻荷さんが天下至る處に祀られるに至つたのは、此の大氏族の氏神であつた事と、此の氏が瑣產工業に貫献する處が多く、延いて稲荷さんが、特に殖產の守護神となつた事とに原因する點が尠くないのである。又松尾神社、上下賀茂神社の發展も、此の氏に負ふ處が多からう、松尾神が酒の神となつたのは、秦酒公との關係を認めねばならぬ。又鎭四の大社宮崎宮、證岐の一宮等、此の氏人を大宮司とする神社が甚だ多い。佛〓方面秦川勝が聖德太子に仕へて弘法に功の多かつた事、太秦の廣隆寺が其の時代に建てられた大刹である事のみを載せても、此の氏の佛〓に貢献した點がわからう。其の他、秦氏から出た名僧高德には大法師勒操、護命僧正、觀賢曾正等尠くない。殖產工業方面秦は機に通ずる程、此の氏は養霊機織と關係が深いのである。姓氏錄には、應神天皇の朝、此の氏が金銀、玉帛、種々實物を献じたと云ひ、次いで仁德天皇の朝、秦氏を諸郡に分置して、養蠶、織絹に從事せしめたと見える。書紀雄略卷にも多く其の事を載せて居る。斯樣に偉大な秦氏族の起原は、何であらう、それは我古代史を鮮明ならしむるに重大なる使命を持つて居るものである。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

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