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杉崎(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

1丹波の杉崎氏廣瀨家文書に「一、丹波亡國の砌、爰に永祿貳年の夏、高氏公十志摩等にも存す。大和以下此の地名多かる三代光源院殿義輝將軍、時に人王百七代の帝正親町院の御宇也。內藤備中守季有は、丹為桐野河内高山の城主也一當國に椙崎大和守と云ふ勇士有り。杉崎大和、內藤備中と一味同心して、密に密談しける。八木の城主内藤備前守宗勝は、近隣の一類を取り集め、要害を構へて在城すと雖ども、是に至て、城主宗勝は氷上郡赤井惡右衞門と數代が問不和成れば、彌々以つて八木亡城の一儀も、相調すべしとぞ談じける。殊に赤井は大勇の物なれば、味方に取りて、今度小川合戰にことよせ、宗勝を討取ること掌に握るが如し。密に人數を取り集め、軍勢凡そ五百餘騎出づ。陣·五月六日に小川に於いて取合となる。内廉備中守、椙崎太郞左衞門の士類、姓名の和しざる者共、右の外三百七十六人也。內藤土佐、杉崎德右衞門、兩家の輪下に付たる物共、深手を負ひ、桐野左京太夫討死す。八木より先づ使に井上但馬守賴貞來る。一人勇者なれども、太軍の引請け向い坂口に及び、粉骨を抽じ、断戰すれども、軍こう無き所え、惡右衞門逆心ををこし、四丹波比丹の歸士井殘らず、八木方の輪下に付き、亂入して、內藤備中守、椙崎大和、防ぎ戰ふと云へども散々に討ちまけ、是に至りて、向後御下智にしたがい、御味方忠勤を守り、君信の禮を重んぜんと。斯の如く警約し、椙崎宗後、内藤土佐、兩家を、波々伯部小五郞光好混すら取成して八木に在城す。内藤杉崎の兩家は、代々將軍家に忠勤恩願の家筋にて、今度は將軍より御免掌り、御感光を以つて、八木城主内藤備前守宗勝と和談す。云々」とあり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

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