本居(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
1恒武平氏伊勢の名族にして、池大納言賴盛の裔、本居縣判官平建〓の裔と稱す。家の昔がたりに「桓武天皇三十二代の孫尾張守平頼盛六代の後胤·本居壓判官平建〓、其の子本居兵部大輔武遠、其の子同兵部大輔武秀、其の子同左馬助直武·始めて伊勢國司顯能卿に仕へ、直武の子同民部少輔武基、其の子同和泉守武久、其の子同左馬亮武貞、其の子同左衞門尉武延、其の子同左馬亮武重、其の子同兵部大輔武利、其の子同惣助武連なり。左馬助主より此の惣助武連主まで八世相いで北畠殿に奉仕せらる。かくて武連主の世にありて、天正四年に北畠殿亡び給ひたりき」と0 2水取姓說山田早稻氏云ふ「こは本居翁が一志郡大阿坂村本居林之右奮門家傳來の系圖を寫し、之に自家傳來の書によりて註を加へて、家譜修撰一卷をものL、該修撰を原本として完備に近きものを書かれしなれども、『桓武天皇三十二代のなど云ふは怪しむべく(本居當は十二世の孫の議かと)、又尾張守賴盛と云ふもをかし。蓋しこは例の假冒にして、此の賴盛は池殿賴盛(〓盛の弟)にあらず、又本居義判官は其の高祖より三十八代に當ると云へば、高祖は桓武天皇よりは遙に古の人にして、その古代姓より發せしや想像するに難からず。そは兎に角、本居は一に本折、或はもとうり等に作り、古代、水取の轉訛と考へらる。思ふに元大和水取氏なりしが、左馬助直武に至り、北畠顯能に從ひて、伊勢に下りしものならん」(以上省略、要點つひじとこの說味ふべく、又日ふ「宣長の母·大和水分神に祈願して、宣長を生みしと云ふも、よしあらんか」と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)