末至麿(2)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2氏人平家物語に眞下四郞重直を載せ、又東艦卷十に眞下太郞、丗二に眞下右衞門三郞等見ゆ。而して新編武藏風土記、兒玉郡上眞下村條に「眞下は古く聞えし地名にして、當國七黨の枝流眞下二郞弘忠等の住せし地なり。七黨系圖に兒玉黨の祖遠峯の男有大夫弘行の三男基行の子眞下二郞弘忠と見えたり。是れ當郡に住せし兒玉氏の屬なれば、此の地を領して、在名を名乗しこと知らる。又東艦に旗下右衞門三郞、同太郞等あり。且四今井村舊家思右衞門所藏天正十八年の文書にも眞下左京亮、下眞下新六郞など見ゆ」と。又男衾郡本田村條に「相傳ふ、昔〓念寺の住持職として、親王家の枝屬下向ありしず、眞下、龜井、近藤、築地などいへる者共從ひて當所に移れり。當氏は、その眞下氏の子孫にて足利將軍の時代、先祖眞下藤四郎重照と稱せし人·新田氏に仕上野國に於いて若干の地を頷とせしとなり重照に層陸三年八月十六日卒、其の位牌は今も教念寺にあるときは、古き作まれ大和守康氏の男源す」と。又最安の第資氏は醜井氏を稱す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)