木寺
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
1木寺宮後二條天皇の裔にして、皇胤紹運錄に「後二條院-邦良親王(木寺宮) -康仁親王(木寺、中務卿、春宮、後廢され給ふ) -邦恒王-世平王-邦康親王-靜覺法親王、」及び「康仁親王の弟邦世親王」等と見ゆ。葛野郡木寺に御座せしを以つて、此の名あり。尊卑分脈もほゞ同50 2遠江の木寺宮氏敷智郡にあり。後二條院皇子木寺宮康仁親王の後裔にして、大宮の御子は長男佐兵衞輔、中男宗察公(迯世龍雲寺)、三男佐兵衛輔なりと。代々木寺宮と稱し、當郡入野に住居す。永祿中、木寺宮·私に甲斐武田氏に通ず。家臣櫻井源兵衛その來狀を奪ひ、宮を諫めしも用ひずして信濃國に奔ると。又云ふ、木寺宮は堀江住、大澤氏の一家也。其の孫豐田源太夫(仕小笠原遠江守)、堀尾彌右衞門(仕小笠原壹岐守)等也と。西に到り、路次·藝州海田に於いて病に罹D.二月朔日逝去、時に二十二歳、法常院殿球山良公と號十)-賴氏(左馬頭、童名龍王丸、兄國朝の逝去により、氏女を以つて妻となし其の家を繼ぐ。是れ閣白秀吉公の命也。慶長六、東照宮より、御加增として千石秩を拜す。寛永七年六月十三日、喜連川に於いて逝去、時に五十一歲、大樹院殿凉山蔭公)-義親(河內守、童名梅千代王丸、寛永四年七月三日、古河に於いて逝去、時に二十九歲、天壽院殿職山英公)-尊信(右兵衞督、童名龍千代丸、母は榊原式部大輔忠政の女、松月院殿、承應二年三月十七日逝〓、時に三十五歲、瑞芳院殿昌山桂公)、」とあり。喜連川はもと鹽谷氏の領土なり、猶ほ鹽谷條を參照。尊信の後は「昭氏-氏春-茂氏-氏連-惠氏-彭氏-篠氏-宣氏-繩氏-聽氏-於蒐丸、」封邑五千石に過ぎざるも、幕府·賓禮を以つて遇せり。明治に至り、足利氏に復し、子爵に列せらる。家紋菊、桐、二引龍。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)