木大友
表示
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
西五五 ホムタホムタ又碧海郡土井屋敷は本多廣孝。中野輝屋數は本多刑部左衞門出生。又「小川村城·本多惣左衞門······正信」など載せたり。その後、水祿十二年三月五日、掛川の合戰に先駈し、元亀元年六月二十八日、姉川戰に忠勝·先陣に進み、三萬餘騎の中へ駈け入つて、縱ざま横ざまに切て廻る。同三年六月三方ヶ原戰に忠勝が振舞ひ、敵味方の目を驚かす。武田方よリ見付の坂に榜を建てゝ「家康に過たる物は二つあり、からのかしらに本多平八」と。この謠は、信玄の近習杉右近助がよみしなり。「此の程は戰國の最中なれば、外國の物は、世にめづらしかりしに、三河武者十人に七八人、冑の上に籠樓を裝ひしを見て、かくは讀みしなり。からのかしらとは、慧縷の事をいひしなリ」(藩翰譜)。また信州村上が子孫の家に、忠勝の村上源吾國〓に送りし狀ありとぞ。また長篠の役、小牧の役、皆功大なれば、秀吉も「一人當千の兵とは、忠勝をこそいふべけれ」と感じ、天正十八年、北條が國々·既に降りしも、上總下總は大事の所なればとて、忠善をして、を守らしむ
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)