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木内(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2木内氏は、東阿卷二十五、三十五、三十六に木内次郎風家、三十七に木内下野次郎、四十に木内下總前司を載せ、又佐倉風土記に「駒形社司木内三郞宗文の正安二年記に曰ふ、埴生郡安食駒形社は郡司大浦朝臣〓足の祭る所の穀神也、」と。又樹林寺は木内岸朝の孫樂胤を、その中與開山とすと云ふ。又香取郡志に「木內氏宅址は、川上隆星院の地なり。元享中、木内大和守胤光·田部より移リ住す」と。胤光は木内胤朝六世の孫なり。下りて鎌倉大草紙に木内彥十郞、又里見代々記に「明應二年、下總國木内判官友安が城攻とて、義成は社家公と示し合せて發向あり。三千餘騎にて城を圍み、唯一時の煙と燒上げり。木内は上杉憲實かゆかりとて、結城の城を陷してよリ以來下總國司となりしなり。扨て未だ香取と巢田家とが殘りたれ共、一先づ歸陣す云々」とa又相州兵亂記に「永享十一年云々、木内伊勢守、」又小金本土寺過去帳に「木内下野守、福德元六月」、木內美濃守、木内常眞等を載せたり。更に下りて德川時代には有名なる佐倉宗吾あり。利根川圖志に「公津宗吾の墓は、臺の山中に在り、」と。木内宗吾は公津村の人也。寬永中、田賦の事を以つて、衆の爲に訴狀を奉り、大駕を驚かす、事九なり。然れども大不敬を以つて、水應二年八月、其の領主·之を礫科に處すと云ふ。香取郡名古町の木内氏は九曜を家紋とす。木內氏は千葉家四宿老の一、又支族に、油田、虫幡等多し。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

系図・系譜

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