有馬(榎本氏流)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9榎本氏流紀伊國牟婁郡有馬莊より起る。續風土記牟樓郡有馬氏の條に、「中世以後の事詳に知るべからずといへども、新宮の神地にして、榎本氏來りて此地に居り、產田神社の神官となり子孫世々此地を領し有馬氏といふ。其の後其の家堀內氏と一となり、堀内氏亡びて公邑となリ、後新宮城に隷せらる。有馬氏の始末を考ふるに、產田神官榎本氏廿四代の孫を有馬和泉守忠永といふ。應永の頃、近郷を凌奪し、南阿田和村より北は木本〓新鹿、遊木、曾根莊二木島、三木莊九木、四甲、行野の諸村の十六ヶ村を領し、有馬村に二つ石の城を築きて居城とす。其子和泉守忠親繼嗣なく、其甥河内守忠吉を豐養子とし、己は木本浦に隱居す。其後實子孫三郞出生せしより、河内守に罪を負うせ自盡せしめ、己も河內守親族の攻擊に遭ひて、防ぐ能はず遂に自盡す。大低大永の末の頃なりと。是によりて孫三郞を主とす。孫三郞二十五才にて死す子なし。親族大和守城代として領內を守る、此時堀內安房守氏虎勢强く、有馬の地を併せんとして有馬を擊つ。後和を講じ、氏虎の次男楠若を請ひて有馬の家編むよう後有馬主膳氏善といふ。堀内氏虎死し、嫡子若狭守家を繼ぎて幾何もなく又死す。家を繼ぐべき子なきによりて、氏善兩家を合せて主となる。これより又堀内安房守氏善と稱す、」と。以下ホリウチ條を見よ。10堀內流堀内系圖に堀内安房守氏虎-安房守氏善-有馬主膳と見え、又續風土記木本〓條に「本城跡、村の子丑の方にあり、有馬和泉守の城にて、和泉守の隱居地といふ。」また要害山城條に「村の西南村端にあり、天正の頃堀內安房守より有馬大和守を當城の主とす、」また地士堀內主膳、堀内安房守氏善の次男、有馬主膳氏時の後なり。氏時有馬村二ツ石の城に生る。正保二年筋目の家なるを以て、南龍公二十口を賜ひ屋敷地を免許し、堀內と改む。子孫代々五口白銀十枚を賜ふ、」と。又奥有馬村古城は有馬氏代々の居城なりといふ。11源姓寬政系譜、未勘源氏に收む。舊津賀氏、後滿秋(家康に仕ふ)にいたりて有馬に復す、家紋釘拔、左三巴、下藤の內釘拔。12上州の有馬氏上野國有馬〓は豊城入上野國有馬〓は豊城入彥命の孫阿利眞公の名を負ひし地ならんかと云ふ。13常陸の有馬氏茨城郡男體山城(岩間村岩間上郷)は往昔、有馬安國居城すと傳ふ。14駿河の有馬氏村上源氏にして家紋蔦葉なりと。15猶ほ有馬氏は安西軍策に元春方有間又八を載せ、又德川時代笠間牧野藩の重臣にあり。而して現今薩摩、日円、筑後、紀伊、志摩、越後、磐城等に多し。