景章
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
を築き之に居る。織田氏に屬す。天正中美濃岐阜の役戰死す。其の子覺兵衞、權太夫あり。京極、池田二家に仕ふ。伊豆守の墓は本村字一の井に在リ(背書國誌古老口碑)、」と見ゆ。又三重郡にも大久保氏あり、大久保城之助は音羽堡に據る。又〓田城、(圍田村字馬冷)ともあり。永祿四年八月、千種忠治、其の臣水谷太左衞門をして之を攻めしむ。城兵支ふる能はず、城之介滑に逃亡す(伊勢軍記)とo關長門守御家中侍帳に「戶田甚之丞組、五拾石、大窪彥左奮門」あり、此の流か。27因幡の大久保氏因幡志、邑美郡湯所村に大久保奥三左衞門を擧ぐ。28阿波の大久保氏阿波美馬郡牛田の大久保氏は、髹漆の名匠にして、元祿中の創業也、其の業に從ふもの百二十八戶と(產業事蹟)。29土佐本山氏族吾川郡の豪族なり。元親記に「永祿三年五月廿日夜、長濱の城を出て、城主大窪美作は木塚をさして落退く云々」と。又「池添源之丞は長濱の城主の子大窪勘十郞、討取」など見ゆ。30紀伊の大久保氏三河大久保氏は當國大久保氏の名を襲ふと云ふ。31伊豫の大窪氏南北朝の頃、宮方に此の氏あり。豫章記、鎭四將軍下向の條に、「御伴人々、大窪兵衞三郞、」また「大窪左京進、舍弟藏人丞」等見ゆ。こは次の氏か。32豊後〓原姓(大窪)豊後〓原系圖に「帆足〓三郞家近-家俊(大窪四郞左衞 オホクホオホクホ-オホクマオホクマミニ門)-某(新左衞門)」と見ゆ。33肥前の大窪氏深江文書文永二年七月廿九日のものに、「一人、大窪太郞吉行、一人·四郞太郞近信云々」と34筑後の大窪氏姫野系圓に「有重、姫野土佐守、甘木家恒の一老、大窪屋形兩名を領し、大窪宅に居る、」と。長百姓十一名に大窪氏あり。35大隅藤姓始良郡(桑原郡)に大窪邑あリ。關係あるか。大窪氏系圖に「藤原姓、家の名乘讓字盛、輪章輪內一本立疊扇子、元祿年前從郡大崎移居子此高山。初代左京(左衞門)-喜左衞門-儀長-三右衞門-盛〓-盛員-盛房-與早太-養甫-甲斐袈婆。初代左京左衞門、實子なきに依り、高山の人福山織部二佑の男喜左衞門、龍ぎて二代となる。二代喜左衞門三男千助、別に庶家を立つ。千助、實子なきを以つて、高山人長友勘兵衞適子、嗣子となり、二代常右衞門、亦子なきに依リ平岡義宜嫡子盛永嗣ぐ」と0 36其の他、秀廉〓給帳に「三千石、大久保內膳、二百石、大久保三九郞、」また尼崎松平藩重臣、高松松平藩重臣、土浦土屋藩の年寄、用人、松平修理御城代、高須松平藩重臣、飯山本多藩用人、關宿久世藩公用人等に大久保氏あり。又慶應武鑑島津藩側用人、並に側役に「大久保一藏」見ゆ。又京極殿給帳に「三百石、大久保又右衞門、二百五十石、大久保長三郞、四百五十石、大久保德左衞門、」津山藩分限帳に「大御番組、大久保誠藏、」佐州役人帳に「藤原姓、大久保季內、」又佐竹系圖に大窪氏見ゆ、今大久保也(地理志料)。氏殿權現再興記(貞享三年)の著書に大窪氏、又家傳史料、銀座由〓書、きやくいの次第に「大窪きいの守殿云々」と。37甲東大久保利通(一藏)は島津藩士、維新の大業を翼賛す、西郷、木戶と共に三傑の稱あり。侯爵を授けらる、其の子利和なり。又靜岡藩士大久保一翁、その功診からずして、子爵を授けらる、其の子立なり。備前、信濃にも此の氏あり