コンテンツにスキップ

日色(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

正訓不明、東京に在り。日字ヒウ肥前國の豪族にして、彼杵郡日字村より起る。深堀文書、元德二年のも「大原郡の人養伊小隅麻筑前國早良郡に後世の種井川村にてビウカとなりし也。國郡制定の際には、熊襲國を併せ、後の日向、大隅、薩摩の三州に亘る大州たり。和銅六年に至つて大隅國を分ちて、今の範圍となれり。次に神代の卷に「筑紫日向小戶橘之糖原」の地あり、こは筑前住吉神社の地也。その他、志摩、相摸、武蔵、下野等に此の地名あれど、:れ等はヒナタ也。日向國は古事記に「尾國、謂建日向日豐久士比泥別、熊曾國謂建日別」本紀に「肥國謂速日別、日向國謂豐久士比とあれど、舊事泥別、次熊腸国謂建日別」とあれば、もと「肥國謂速日別、日向國謂豐久士比泥別、曾國謂建日別」とありしものと考へらる。熊1日向國造日向國の大國造にして、行天皇皇子豐國別王の後也。三年條には御刀媛にして、「夏五月、日向の人也。悉く農國を平げ、皇子の御母景行紀十景因リて以つて高屋宮に居る、巳に六年也。是に其の國に佳人あり、御刀媛と曰ふ、則ち召されて妃となり、豐國別皇子を生み給ふ。是れ日向國造の始祖也」と載せ、また古事記、景行段に「(天皇)日向の美波迦斯毘賣を娶りて、み給ふ。豐國別王は日向國造の祖」御子豐國別王を生と記L、また景行本紀に「十三年、日向國に佳人あり、御刀媛と曰ふ。卽ち妃と爲して豐國別皇子を生み給ふ」など見ゆ。以上の古典何れも御刀媛の出自を云はざれど、恐らく諸縣君の女にして、此の皇子は御母の領土を得給へるなるべし。何となれば、景行本紀に「豐國別命を日向諸縣君等の祖」とも載せたるを以つてなり。又國造本紀には「日向國造。輕島豐明朝に定め賜ふ」と載せ、應神紀に諸縣君牛諸の御世、豐國別皇子三世の孫老男を國造井の女髪長媛の事見ゆ。蓋し皇子の裔·れしならん。諸縣君家を襲ぎ、諸縣條參照。且つ日向國造に補せら2延喜式、の邊りにありしなるべし。此の國造の氏神にして、日向君諸縣郡に霧島神社を收む、これも景行帝の御裔にして、國造の治所も其蓋し最行本紀に「草木命(景行皇子)は日向君の祖」と見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

系図・系譜

関連論文

外部リンク