日桑
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
鎭四引付、永仁七年四月十四六百入部の地頭と爲る。元龜三年壬申歲、弟左近·酒井田壹岐守の義子と爲り、當國に來り、天正九年辛巳歲、父の族を以つて代將と爲り、出でゝ龍造寺の兵と戰ひ、遂に戰歿し、壹州も亦尋いで卒す。是に於いて酒井田家沒落し、左近の子藤左衞門·猶ほ幼、而して孤也、身を當所光明寺に託す」と。酒井田郷士樋口氏の家傳は市兵衛の家記に同じく、獨り正輝の家記のみ同じからずと。次に康正の男「修理義正·父の遺跡を權ぎて、筑前に在り、第左近光正·故ありて酒井田村に來り、酒井田壹岐守に寄食し、居ること一兩年、天正十九年正月廿三日、筑前に出張して戰死すと。されど天正十九年に筑前の合戰は見る所なし、恐くは非なるべし。大友義統狀、及び軍記等に據るに、壹岐守、及び其の子三郞、天正十年三月十一日、邊春城に在りて、龍造寺の幕下堤氏の兵を防禦す。敵强くして城陷り、父子共に戰死す。此の三郞は恐らく左近の一名にて樋口家の傳謬る數)-藤左衞門(父戰死の時二歲、遂に土着す)」と。又酒井田村樋口剛太郞三幸の書に「右の「右の日に「三番·日桑古孫四郞見ゆ
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)